3年ぶりのカーリング軽井沢国際 優勝を果たしたSC軽井沢クラブのスキップ・独占インタビュー

竹田聡一郎
 ロコ・ソラーレの北京五輪銀メダル獲得などで、2022年は女子カーリングの注目が増した。一方、男子カーリングは五輪出場を逸し、“冬の時代”などと揶揄されることもしばしばだ。

 そんな中、5月の日本選手権を若干、二十歳(当時)で制したホープが現れた。SC軽井沢クラブの栁澤李空だ。18日まで行われていた軽井沢国際カーリングでも優勝を果たすなど、いまもっとも旬な若手カーラーであろう。カーリングをはじめたのきっかけ、急成長できた理由などを聞いた。自身初の単独インタビュー。

韓国やアメリカから出場した海外チームや国内の強豪との接戦を制しての戴冠となった 【(C)軽井沢国際 2022_H.Ide】

10万円のエキサイティングシートは「いい試みだったのでは」

ー軽井沢国際カーリング2022、優勝おめでとうございます。

「ありがとうございます。無事に開催されて、いつも応援してくれるファンの方々の前で優勝できて最高でした」

ー3年ぶりの開催、どうでしたか?
「カナダ、アメリカ、韓国から世界トップのチームが来てくれましたし、軽井沢の観客の前でカーリングがでできるのは本当に久しぶりで、楽しかったです」

ー栁澤選手は大会前に「地元の軽井沢で勝てないのは許されないので頑張ります」とおっしゃっていて、それを有言実行した形になりました。

「特に決勝はTMK(Morozumi)さんとの試合になって、どこかで軽井沢対決をしたいなと思っていたので嬉しかったですね。接戦のいいゲームができて良かったです」

ー大会としては10万円という価格の「エキサイティングシート」も話題にもなりました。

「小さい金額ではないので、賛否両論があったのは理解しています。でも、他のメジャースポーツと比べると、テニスや格闘技なども選手との距離が近ければ近いほど、値段の高い席になっていますので、今後のカーリングのことを考えるいい試みだったのではないかなとも思います。ロコ・ソラーレをはじめとした人気チームが写真やサインなど対応してくれていて、本当にありがたかったです。僕たちもパッド(ブラシ先端の取り外し可能な接氷面)にサインをして来てくれて渡したら喜んでくれていました」

ー山口選手も「カーリングをもっとメジャーにして、お金を生むスポーツにしたい」という野望をかねてから語っています。これが将来につながることを願っています。

「そうですね。今回も大勢の方がチケットを買っていただいて、その収益が賞金に還元されています。大切なのは未来のより良い環境、次の世代の強化に使われるかどうかだと思っています。そうすればファンと選手の繋がりも強くなると思っていますし、選手もいい試合をしないといけない自覚が出ます。今回、来てくれたお客さんは楽しそうだったので安心しました」

ピアノとカーリングの二択で、カーリングを選んだ理由

男子は平昌五輪金メダルでアメリカ代表のShuster、女子は世界ランキング1位でカナダ代表のEinarsonなど、国内外のトップチームが出場した 【 (C)軽井沢国際 2022_H.Ide】

ーせっかくなのでまだ明かされてない栁澤選手のパーソナルな部分を聞かせてください。まずはカーリングをはじめたきっかけから教えてください。

「幼なじみに誘われて軽井沢中学のカーリング部に入ったのがきっかけです。小学校高学年の時に(軽井沢)アイスパークでスケートとカーリングの体験授業みたいなものがあったのですが、その時は『こんなスポーツもあるんだな。でも氷の上は寒いな』くらいの感想だったんですけどね」

ーそれまでに他のスポーツや習い事はやってなかったんですか?

「小さい頃からずっとピアノをやっていました。自分で練習して大きなホールで来てくれたお客さんの前で弾くのは好きでした。でも、中学からカーリングをはじめてどっちかに絞らないといけなくなって」

ーカーリングを選んだ理由を聞かせてください。

「僕はすごい負けず嫌いなんです。ピアノにも発表会はあるんですけれど、それは練習してきた曲を聞いてもらう“ショー”みたいな部分があるじゃないですか。でもカーリングには対戦相手がいて勝敗が決まる。始めた頃は負けてばかりで本当に悔しかったです。ピアノをもっとうまくなりたいという気持ちより、カーリングで負けたくないという気持ちが強くなってきて。それに気づいた時からカーリングにどんどんのめりこんでいきました」

ーピアノはもう弾いてないんですか?

「それが実は久しぶりに弾きたくなって、電子キーボードを最近、買ったんです。やっぱり楽しいです。軽井沢国際の決勝前夜も心を落ち着かせるために弾きました」

ー差し支えなければなんの曲を弾いたのか教えてください。

「『戦場のメリークリスマス』です」

ーお洒落な曲を弾くんですね。話をカーリングに戻しますが、2016年に栁澤選手は軽井沢中学校のスキップとして日本ジュニア選手権で3位に入賞しています。

「青森の大会ですね。よく覚えています。全国大会に初めて出場した時だったので、3位になるなんて想像してなかったです。まさか最終日まで残るとも思っていなかったから早い時間の新幹線を予約していて、終わってから急いでみんなで新青森駅まで行ったのは今となってはいい思い出です」

ーその「まさか3位になるとは」から、たった6年で日本選手権優勝という結果を残す選手になりました。そのあたりの階段を駆け上げったような実感はありますか?

「正直に言うと、あんまりないですよね」

ーでは、もし成功の秘訣、あるいは成長の理由みたいなものがあれば教えてください。

「やっぱり高校2年生の時にSC軽井沢クラブのアカデミーに入ったことだと思っています。トレーニング環境が整っている中、いい練習を積み重ねてきました。あとは、それまでは世界のカーリングってどんなものなのかまったく知らなかったんです。でも、ヤマちゃん(山口剛史/SC軽井沢クラブ)や(長岡)はと美コーチ(元SC軽井沢クラブヘッドコーチ)という世界を知っている人のそばでプレーできたのも大きかったですね」

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著者プロフィール

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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