黒田剛監督が選ぶ「青森山田ベストマッチ」

黒田剛監督が選ぶ「青森山田ベストマッチ③」【前編】 理想を実現した“パーフェクトゲーム”

吉田太郎

松木は“努力のキング”だった

序盤から攻守にわたってチームを引っ張った松木は、後半10分に勝利を大きく引き寄せる3点目のゴール。最強軍団の絶対的リーダーは、高校サッカー最後の試合でも輝いた 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 松木は1年時から3年連続の選手権ファイナル。下級生時から先輩に対して物怖じすることなく意見するなど、そのメンタリティーやカリスマ性に注目が集まったが、自身に高いノルマを設定し、そのために日々努力して乗り越えるプレーヤーだった。黒田監督は「今どき珍しいリーダーであり選手。自分のイメージしたものに向かって行く姿勢、取り組みは絶対にブレないし、また遠慮しない子でした」と話す。

 黒田監督が松木と出会ったのは、彼が青森山田中に入学してから。「まだまだチビで、メガネをかけて、坊主頭で来ましたね。いつのまにかコンタクトをつけて髪が伸びて格好良くなっていったけれど、当時はサッカーできるのかなというような。でも、メンタルは強かったです」と懐かしむ。夏休みの宿題で先生方を欺こうとするずる賢さ、可愛らしさもあったようだ。

 パンチのある左足、中学3年時から妥協せずに鍛え上げた肉体、勝負強さ……。だが、決して特別な才能があるわけではない。「だから、なんですよ」と黒田監督は言う。

「勘違いせず、どのコメントにも『自分、下手くそなんで』という言葉が必ず入ってくる。それを自覚した上でトレーニングに打ち込めるところ、自分のできるところ、見せられるところ、また戦えるところを柔軟に出せているのが、彼の良いところなんです」

 状況に応じ、チームのバランスを取る力は秀逸。泥臭くボールを奪い、走り、ここぞというところでゴールを決める。彼は“努力のキング”だった。

 最強軍団の絶対的なリーダー。ただし、黒田監督は「お山の大将にならなかったのも玖生の素晴らしいところ」と評する。この代には宇野や藤森、DF三輪椋平ら自分の意見を発せられる選手たちが揃っていた。また、人の話を聞く、学び続けることができた世代。彼らが松木だけに頼ることなく、意見を出し合いながら、選手権決勝まで成長を目指し続けたからこそ強力な集団となった。

 松木のゴールで国立の雰囲気を完全に自分たちのモノにした青森山田は、後半33分にもFW渡邊星来のヘディングシュートで加点。最後まで大津にシュートを打たせず、選手権決勝で被シュートゼロの快挙を成し遂げるとともに、第100回大会の王者に輝いた。
 
 相手にシュートを打たせずに勝つ。黒田監督は「オレが志向しているサッカーというのは、あれが理想形であって、理想中の理想を現実とさせてくれました」とうなずく。それも、日本一をかけた国立での決勝、42,747人の観衆の前でやり遂げた“パーフェクトゲーム”だ。

「理想を現実とさせるだけのパワー、スキルのあった子たちでした。みんな頭も良いし、考えて、人にモノを厳しく言えるし、そして聞けるし、性格的にも本当に良かった」

 黒田監督が、彼らのすごさを最大限に実感したシーンがある。それは、4-0で迎えた後半アディショナルタイム2分のプレーだった。

(企画・編集/YOJI-GEN)

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黒田剛(くろだ・ごう)

1970年5月26日、北海道生まれ。登別大谷高(室蘭大谷高に統合され、現在は北海道大谷室蘭高)、大阪体育大でプレーした後、指導者の道へ。94年に青森山田高のコーチとなり、翌95年に同校監督に就任。全国高校サッカー選手権優勝3回(2016年度、18年度、21年度)、全国高校総体優勝2回(05年、21年)、高円宮杯U-18プレミアリーグファイナル優勝2回(16年、19年)など数々の栄冠をもたらしてきた。22年度の選手権・青森予選をもって監督職を辞して総監督に。23年シーズンからJ2・FC町田ゼルビアのトップチームで指揮を執ることが決まっている。

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