長崎ヴェルカの23歳・弓波英人は選手兼コーチを経て指導者業へ 目指すはアメリカでHCに、そして恩人を「ボコボコに」

永塚和志

今シーズンより長崎ヴェルカの「インターンコーチ」を務める弓波氏(中央) 【永塚和志】

 B3を圧倒的な成績で制し、今シーズン、B2に上がってきた長崎ヴェルカは、通販で有名なジャパネットホールディングスをオーナー企業に持つこともあって注目を集めるチームだ。

 実績豊富かつ多様な背景を持つこのチームのコーチ陣に今シーズン、弓波英人氏の名前が加わった。

 昨シーズンは同チームで選手として登録されていた弓波氏は、実質はコーチ見習いを兼任していたような形だった。2022-23シーズンからは「インターンコーチ」という肩書ながら、本格的に指導者の道を歩み始めた。現在は主に選手の個人の技量向上などを手伝うプレーヤーディベロップメントを担っているという。

 人生の多くをアメリカで過ごしてきた弓波氏が長崎入りした経緯は、以前はB1・アルバルク東京でヘッドコーチを務め、現在は同チームでGMを務める伊藤拓摩氏の存在に尽きる。千葉県・習志野出身の弓波氏は9歳の時にアメリカ・ノースカロライナ州へ移住しているが、それは彼の父親が伊藤氏と彼の弟の大司氏(現アルバルク・アシスタントGM)が高校時代からバスケットボールのために渡米したことに影響を受けたところがあったからだ。

 弓波氏はアメリカ大学1部のジョージアサザン大学でプレーし、そのまま同国に残って指導者を目指す道も考えていたが、コロナ禍が始まったばかりの20年に、伊藤氏へSNSのダイレクトメッセージに始まるやりとりを経て、母国の新興球団への入団を決断した。

 決め手は、選手をやりながらコーチングも学べるからだった。

「コーチになりたいというのはあったんですけども、あとでレジュメ(履歴書)に1年でもプロで選手としてやれたと書けるのは大きいかなと思ったのでヴェルカを選びました。拓摩さんからは『コーチングも一緒に学べるようにしてあげる』というお話をいただいたので、選手をやりながらコーチングを学べるのは一石二鳥かなと思い、こちらにしました」

 しかし、入団から間もない昨年の7月。弓波氏は伊藤氏から突如、「選手としては諦めたほうがいいんじゃないか」と言われてしまう。当時は膝の故障を抱えていてコンディションが十全でなかったというのはあったにせよ、これからプロ選手としての船出をしようと意気込んでいたところにかけられたその言葉は、弓波氏にとって気持ちが滅入(めい)る出来事だった。

 それでも弓波氏は、選手としてそのシーズンを送った。

「拓摩さんも(選手を辞めるかどうか考える時間を)1週間くれたわけですが、最後に出した決断が、『いや、やっぱり契約した以上、やっぱり選手として1年はやりたい。でもヴェルカに必要なことをやります』と伝えました」(弓波氏)

 コーチ見習い、そして同チームのバスケットボールスクールの指導もこなす多忙さの中、彼はこのシーズン、4試合で計14分間コートに立ちつつ同10得点を記録。プロ選手としての証を残した。

 そして2022−23シーズン。弓波氏はユニフォームを置き、コーチ専業となった。アメリカに渡って同国の大学1部校でプレーすることを目標とし、169cmと小柄な体格のディスアドバンテージを持ちながらそれを実現した。一方で、そこで主力選手にはなれないのだという現実もつきつけられた。が、自身がチームを盛り上げ、仲間を叱咤(しった)するのに長けていると認識していた。高校の頃から将来は指導者になれたらという希望は芽生えていたが、大学に入ってそれがより明確になっていった。

 プロ選手生活はわずか1年となってしまったが、それでもヴェルカへ来たことに対する悔いは弓波氏にない。伊藤氏からバトンを受け今シーズン、長崎のHCに昇格した前田健滋朗氏を筆頭に、スタッフの大半は若いながら海外経験もあり、有能な人材が集まっている。ディフェンスから試合の展開を早くしてより多くの得点を狙う「ヴェルカスタイル」(弓波氏)も自身が志向するものだ。

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著者プロフィール

茨城県生まれ、北海道育ち。英字紙「ジャパンタイムズ」元記者で、プロ野球やバスケットボール等を担当。現在はフリーランスライターとして活動。日本シリーズやWBC、バスケットボール世界選手権、NFL・スーパーボウルなどの取材経験がある

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