連載:「知られざる審判の世界」野球とサッカーを支える“フィールドの番人”

下柳剛が語る審判との付き合い方「ピッチャーと審判は運命共同体」

平尾類
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球審との駆け引きなど、下柳氏は審判にまつわる貴重な話を聞かせてくれた。「審判は怒らせないほうがいい。怒らせても何の得にもならない」と語る 【平尾類】

 プロ野球の世界では一球、一打の判定が勝負を分ける。特に投手は主審の判定がゲームメイクに大きく影響する。現役時代にダイエー(現・ソフトバンク)、日本ハム、阪神、楽天の4球団でプレーした下柳剛氏は150キロ近い剛腕投手から、多彩な変化球で打者を翻弄する技巧派にモデルチェンジした数少ない成功例として知られる。今回のインタビューで、ストライクゾーンを巡る主審との駆け引き、今だから明かせる爆笑エピソード、審判に抱く特別な思いなどについて語ってもらった。

全ての審判の傾向が頭の中に入っていた

 下柳氏は22年間のプロ野球人生で通算129勝をマーク。ダイエー、日本ハムでは快速球の荒れ球を武器に主に救援で活躍したが、阪神では先発の柱として抜群の制球力と巧妙な配球術で凡打の山を築いた。2005年に史上最年長の37歳で最多勝のタイトルを獲得するなど、2度のリーグ優勝に貢献した。
――速球派左腕は直球の球速が落ちるとパフォーマンスが下がるため、選手寿命が短いと言われます。下柳さんは阪神で技巧派に転身して長らく活躍しました。制球力が生命線となる中で、審判に対してどのような意識で試合に臨んでいたのでしょうか。

 オレは器用なタイプでは全然ない。日本ハムでそれまで空振りやファウルが取れていた直球が打たれるようになり、コーチに「このままではユニホームを脱ぐことになるぞ」と言われて。そこでキップ・グロス(元日本ハム)にシュートを教わったりした。なぜ変化球を覚えるかというと、一番はずっと野球選手でいたい、1年でも長くユニホームを着たいという意識が強かったから。じゃあ、アウトを取るためにどうすればいいか。変化球を覚えてコントロールを磨いて配球術を学んで、メンタルトレーニングも取り入れて。

 若手の時はストライクゾーンの枠の中に入れとけばいいって感じだったけど、その意識が変わったのは阪神時代からやね。審判との相性を頭に入れて投げていた。(ノートに)メモはしないけど、全ての審判のストライクゾーンの傾向は頭の中に入っていたし、試合中に投げている時にも、「今日はこっちのコースを(ストライクに)取るな」と感覚をつかんだりしていた。

――審判にストライクゾーンの確認作業をする時期はあったんでしょうか。
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著者プロフィール

1980年4月10日、神奈川県横浜市生まれ。スポーツ新聞に勤務していた当時はDeNA、巨人、ヤクルト、西武の担当記者を歴任。現在はライター、アスリートのマネジメント業などの活動をしている。

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