[連載小説]アイム・ブルー(I’m BLUE) 第4話 託されたオラルの魂
これを記念して、4年前にスポーツナビアプリ限定で配信された前作をWEB版でも全話公開いたします(毎日1話ずつ公開予定)。
木崎f伸也、初のフィクション小説。
イラストは人気サッカー漫画『GIANT KILLING』のツジトモが描き下ろし。
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【(C)ツジトモ】
個人としてボールを奪う力に問題があるし、接触プレーで相手のパワーを受け流すのが下手だ。だが、きちんと設計図をつくり、歯車がはまれば、複雑なサッカーができるポテンシャルを秘めていた。
ノイマンは書斎の上に、フランクフルトの地元紙を広げた。まだレーマー広場の事件が大きく特集されていた。
<当局がテロの可能性はなく、精神錯乱者による犯行だったと発表。大型トラックがレーマー広場を暴走し、死者5人、負傷者30人。運転席でピストル自殺した犯人の身元調査が進められている>
ドイツでは、攻撃的な発作的精神錯乱(Amok、アモック)が社会問題になっていた。2015年にはジャーマンウインクスの副操縦士が、飛行機をアルプス山中に墜落させる痛ましい事件が起こった。2018年にはミュンスターで、暴走したトラックがレストランの屋外の席に突入した。それ以降も毎年のように同種の事件が起こっている。
記事の写真を見ると、日本代表のメーメット・オラル監督の胸に手を当てたときの感触が蘇ってくる。あのときノイマンは医学部時代の記憶を呼び起こし、すぐに心臓マッサージを試みた。そして到着した救急車に運び入れた。チャンピオンリーグの決勝でも緊張しなかったが、あの日だけは手の震えが止まらなかった。
携帯の画面に、リマインダーの通知が表示された。
「フランクフルト大学病院、15:00」
待ちに待った日が来た――。1週間分の分析結果を抱え、ノイマンは家を出た。
病室に到着すると、窓からマイン川を見下ろせた。さわやかな風が吹き込み、カーテンが揺れている。包帯、ギブス、コルセットに包まれ、オラルがベッドの上に横たわっていた。頭と顔に巻かれた包帯の隙間から乱れた長髪があふれ、まるで闘技場から帰還した剣闘士のような姿だ。
「フランク……か」
オラルが包帯の隙間から横目にノイマンの姿を確認し、息苦しそうに口を動かした。一度は心臓が止まりながらも、その後の処置によって一命を取り留めていた。
ノイマンは「ピスタチオ味、好きでしたよね?」と言ってトルコの伝統菓子「バクラバ」の詰め合わせを棚に置いた。常にテンションが変わらない無表情なタイプだが、できるだけ明るく振る舞った。
「あなたにはサッカーの女神だけでなく、生命の女神もついているようです。心停止から復活して、肩、背骨、骨盤、大腿骨を骨折しながらも、不屈の精神で一命を取り留めた。医師は奇跡と言っていましたよ」
オラルは息継ぎをしながら返した。
「いつも……冷静なおまえのおかげだ」
後輩に情けない姿は見せたくないのだろう。無理をして声を張っているのが伝わってきた。点滴を受けており、面会に許されたのも15分だけだ。あまり長居すべきでない。ノイマンは分析レポートをカバンから取り出し、ベッド横の簡易椅子に置いた。
「分析結果です。落ち着いて読めるようになったら、いつでも連絡をください」
オラルは返事をしない。長い沈黙が続く。痛みで口が動かないのではなく、言うべき言葉を探している、とノイマンは思った。
「俺には……夢がある」
オラルはノイマンに目を合わせて続けた。
「1つ頼みがある。日本の指揮を執ってくれないか?」
突然の提案にノイマンは驚き、もとから硬い表情をさらにこわばらせた。いくら映像を繰り返し見たからと言って、選手に会ったことすらない。準備期間も明らかに足りない。その一方で、柄にもなく心臓の高鳴りを感じていた。W杯を1度は体験してみたいと以前から思っていた。
だが、プロ選手経験がない指導者として、1度でも失敗したら、キャリアは終わりだというつもりで仕事をしてきた。魅力的なオファーがあっても、つまずくと思ったら絶対に受けなかった。