連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

今春をもって選手生活を終えた菊地彪吾 大学卒業後の仕事は野球への強い思いから

上原伸一
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金足農卒業後は八戸学院大へ。高校時代の話だけでなく、大学進学後の苦悩や今後の目標についても語ってくれた 【上原伸一】

 金足農業3年時の夏の甲子園で、劇的な逆転サヨナラ2ランスクイズを成功させたランナーとして脚光を浴びた菊地彪吾(ひゅうご)。高校卒業後は青森の八戸学院大に進んだ。だが大学では思うように結果を残せず、苦しい日々が続いた。そして4年生となった今年、春のリーグ戦を最後に選手として引退することを決断する。それでも、野球への強い思いは変わらない。大学卒業後は野球用具メーカーに就職し、社会人生活をスタートさせる。

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吉田に誘われて八戸学院大への進学を決めた

 2018年夏の甲子園で準優勝を果たした金足農。秋田に戻ると、地元は大騒ぎになっていた。秋田空港では1400人とも言われる出迎えがあった。「カナノウフィーバー」は秋になってもおさまらず、選手たちは約2カ月の間、電車通学ができなかったほどだ。学校の文化祭も混乱を避けるために一般公開が中止になった。

「自分たちは甲子園に行く前と何も変わっていなかったんですが、帰ってきたら、周りが変わっていて……とても驚きました。少しほとぼりが冷めてから電車通学するようになると、『写真を撮ってもいいですか?』と、よくスマホを向けられました」

 菊地彪吾は高校卒業後、八戸学院大(青森)に進む。秋山翔吾(現・広島)ら多くのプロ野球選手を輩出している強豪である。

 大学で野球をしたいと考えていた菊地を「一緒に行こう」と誘ったのは吉田輝星(現・日本ハム)だった。

「2年生の夏の大会後だったと思います。そこから話が進んで、2年の段階で八戸学院大に行くことは内定していました」

秋田北シニアでの「出会い」が金足農に行く決め手に

吉田と出会ったのは秋田北シニアの「中3コース」。当時から名の知れた投手だった彼の存在が、進学先に金足農を選ぶ決定打となった 【写真は共同】

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著者プロフィール

1962年、東京生まれ。外資系スポーツメーカーなどを経て、2001年からフリーランスのライターになる。野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の『週刊ベースボール』、『大学野球』、『高校野球マガジン』などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞『4years.』、『NumberWeb』、『ヤフーニュース個人』などに寄稿している。

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