連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

「天才バッター」峯本匠が味わった苦しみ 履正社戦の大敗と完全アウェイの最後の夏

上原伸一
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大阪桐蔭時代は全国屈指の二塁手として、その名を轟かせた峯本。「高校生相手なら誰でも打てると思っていた」というのも頷けるセンスを見せつけた 【写真は共同】

 強打の二塁手として鳴らし、数々の名選手を輩出してきた高校野球の強豪・大阪桐蔭にあって、歴代ベストナインに推す声も少なくない峯本匠。高校3年の夏の甲子園(2014年)では6割超の出塁率をマークし、2年ぶりの全国制覇に大きく貢献したが、その道のりは決して平坦ではなかった。ライバル・履正社に喫した屈辱のコールド負けと、“ヒール”として戦う苦しみを味わった最後の夏……。誰もが認める「天才バッター」は、知られざる困難と挫折を乗り越えてきた。

怖いもの知らずで叩かれるほど強くなった

 大阪桐蔭では3度甲子園に出場し、「天才バッター」の名をほしいままにした峯本匠。2年夏の甲子園(2013年)では2大会連続となるランニングホームランを記録。3年夏は打率5割と打ちまくり、全国制覇に貢献した。ただ「天才バッター」の異名も、夏の甲子園優勝も、知られざる様々な困難を乗り越えてつかんだものだった。

 現在は社会人野球の強豪、JFE東日本でプレーしている峯本。高校生活がスタートした日は、奇しくも大阪桐蔭が、藤浪晋太郎(現阪神/当時3年)と森友哉(現西武/当時2年)のバッテリーを擁し、センバツ初優勝を果たした日でもあった。
「入学式当日がセンバツ決勝の日と重なりまして。ちょうど僕の誕生日(4月4日)でもありました。寮では甲子園から戻って来たメンバー外の先輩方がはしゃいでましたが、僕ら1年生はもちろん、その輪には加われません。部屋でじっとしていたのを覚えています」

 峯本は兵庫県の忠岡ヤングに所属していた中学時代から名が知られた選手だった。3年夏には全国大会にも出場。大阪桐蔭でも入部早々に、ベンチ入りメンバーが中心の「Aチーム」に抜擢された。

「しんどかったです(苦笑)。キャッチボールなど、練習メニューのパートナーは3年生。まずそこから重圧がありましたし……ノックでは、僕は高校からセカンドになったので、毎日ミスをしては怒られてました。Aチームに入れない先輩や同期の目もあり、一瞬たりとも気が抜けなかったですね」

 16歳になったばかりの少年にとっては過酷な毎日だった。誰かから「説教」をされない日はなかった。それでも峯本は肝が据わっていた。

「中学の時、やんちゃだったのもあって、怖いもの知らずのところがありました(笑)。叩かれるほどに、心身とも強くなっていった感じです。当時は僕みたいな選手が多かったですね。叩かれてもへこまずに、それをバネにしていくタイプばかりでした」

 1年夏は甲子園でボールボーイを務め、大阪桐蔭初の春夏連覇をグラウンドレベルで見届けた。新チームが結成されると、二塁のレギュラー格に。府大会からよく打ち、その働きが認められ、近畿大会からは背番号がひと桁の「4」になった。

 翌春のセンバツで自身初の甲子園出場。遠軽との初戦(2回戦)、その初打席でランニングホームランを放った。

「甲子園での最初の打席ですからね。やはり緊張はありました。(ランニングホームランは)僕の後ろ(三番)が森友哉さんだったので、つなげば森さんがなんとかしてくれると思いながら、バットを振った結果です。いきなり打てたのは大きかったですね。僕は何事も最初が肝心だと思っています。もし最初の打席で凡退していたら、あれほど(3大会で計18安打)ヒットは打てなかったかもしれません」

挫けそうになると思い返した“あの光景”

2013年の秋季大阪大会では履正社に1-13のコールド負けを喫し、5大会連続の甲子園出場を逃した。あの屈辱が、最後の夏の全国制覇へとつながった 【写真:アフロ】

 2年夏も2大会連続で甲子園へ。3回戦で明徳義塾に敗れたが、この試合で注目の好投手・岸潤一郎(現西武)から、センバツのリプレーのように、センターへのランニング弾を記録した。

 大会が終わると、いよいよ自分たちの代になった。5大会連続甲子園出場を目指す大阪桐蔭には、峯本をはじめ、香月一也(現巨人)、森晋之介と、旧チームでも試合に出ていた3人が残っていた。

「周りからのは当然のように次も……と見られていましたが、僕ら、新チームになったばかりの頃は決して強くはなかったんです。ですから、早々と(秋季府大会4回戦で)履正社とぶつかった時は、不安の方が大きかったですね」

 峯本の不安は的中してしまう。大阪桐蔭は1-13の5回コールド負けを喫し、翌春のセンバツ出場は絶望的となった。

「屈辱的でしたね。これだけ大差をつけられたのは僕にとっても初めてでしたし、たぶん(野球エリート揃いの)他の選手にとっても初めての経験だったと思います」

 大差でのコールド負けもさることながら、それ以上に屈辱的だったのが、試合後、野球部のバスの中から見たある光景だったという。
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著者プロフィール

1962年、東京生まれ。外資系スポーツメーカーなどを経て、2001年からフリーランスのライターになる。野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の『週刊ベースボール』、『大学野球』、『高校野球マガジン』などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞『4years.』、『NumberWeb』、『ヤフーニュース個人』などに寄稿している。

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