連載:2004年・新人監督落合博満

岡田彰布が明かす「新人監督落合博満」 楽しくてしょうがなかった中日戦

菊地高弘
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2004年の落合監督を振り返ったくれた岡田彰布さん 【写真:アスリート・マーケティング株式会社】

 北海道日本ハムのBIGBOSS、中日の立浪和義監督。プロでのコーチ経験を持たない2人の監督就任は大きな話題を呼んだ。しかし、新人監督が結果を残すことは容易ではなく、両チーム共に前半戦は苦しい戦いが続いている。

 だが過去には同じようにコーチ経験を経ず、就任1年目からリーグ優勝を果たした監督もいた。その一人が『嫌われた監督』のヒットも記憶に新しい、2004年の中日を率いた落合博満監督だ。

 そこで、当時の関係者たちの声を聞き、改めて2004年の「新人監督・落合博満」を振り返ってみたいと思う。最終回となる第7回目は、2004年のペナントレースをライバル球団の監督として戦った岡田彰布さんにお話を伺った。

残念だった落合の選手会脱会

FA宣言第一号は選手会を脱会した落合だった 【写真は共同】

――2004年からともに新人監督として落合さんとしのぎを削った岡田さんですが、現役時代は交流などはあったのでしょうか?

 落合さんがトレードで中日に来た1987年から7年間は、同じセ・リーグで対戦していました。当時の野球界は他球団の選手と話していけはいけないムードがあったから、あいさつ程度しか話したことはなかったですね。落合さんは選手会のイベントにも顔を出さなかったですしね。

――1988~1990年は両者ともオールスター戦に出場しています。

 まあ、落合さんは誰ともしゃべってなかったからね。年齢的にも一番上のほうで、監督・コーチ寄りの場所に座っていて話さなかった気がします。

――打者としての落合さんをどう見ていましたか?

 すごく理にかなった打ち方で、運ぶようなスイングはすごく参考にさせてもらっていました。今はぶつけるように打つ選手が多いから、「ボールをバットに乗せて運ぶように打つ」と表現しても、わかってもらえないんですけどね。

――岡田さんはプロ野球選手会の会長時代に、FAの導入に尽力しました。ところが、制度導入1年目に利用したのが、選手会を脱会した落合さんでした。そのことをよく思わない感情もあったのではないでしょうか。

 そりゃ、あまりよくは思っていなかったですよ。選手会を作った時、年俸が数百万の選手と、億単位でもらっている選手とで同じ年会費をとるのはおかしいとなったんです。そこで年俸を調査するために選手会のメンバー全員に推定年俸を書いてもらったんですけど、落合さんはその欄に「脱会します」と書いて提出してきた。当時はJリーグブームもあって、野球界の魅力を広く伝えようと選手会も一丸となって頑張ろうという時期でした。それだけに、球界最高年俸と言われた落合さんが選手会を脱会するというのは残念でしたよね。

驚きはなかった「開幕投手・川崎憲次郎」

岡田さんは「監督像がまったく湧かんかったよね」と当時を振り返る 【写真は共同】

――そんな両者がお互い新監督として2004年のシーズンを迎えます。まず、落合さんが監督になると聞いて思ったことを教えてください。
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著者プロフィール

1982年生まれ、東京都育ち。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。元高校球児で、「野球部研究家」を自称。著書『野球部あるある』シリーズが好評発売中。アニメ『野球部あるある』(北陸朝日放送)もYouTubeで公開中。2018年春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)を上梓。

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