岩瀬仁紀が明かす「新人監督落合博満」 2004年がすべての始まり
落合中日に欠かせぬ不動の守護神として活躍した岩瀬さん 【©岩瀬仁紀オフィシャルサイト】
だが過去には同じようにコーチ経験を経ず、就任1年目からリーグ優勝を果たした監督もいた。その一人が『嫌われた監督』のヒットも記憶に新しい、2004年の中日を率いた落合博満監督だ。
そこで、当時の関係者たちの声を聞き、改めて2004年の「新人監督・落合博満」を振り返ってみたいと思う。第3回目は落合監督によって守護神に任命され、その後数々の大記録を樹立した岩瀬仁紀さんにお話を伺った。
岩瀬流、2004年開幕投手の解釈
落合さんが就任記者会見で「現有戦力を10%底上げして優勝する」と言った時、自分かなとは思っていました。抑えのポジションが空いた状態(前年に抑えを務めた大塚晶則[現・晶文]がMLBパドレスへ移籍)で、外国人を補強するわけでもない。誰ができるかとなった時、やれるならやりたいと思いました。おそらくキャンプ、オープン戦でテストして決めていくのだろうと思っていたのですが、キャンプイン前日に落合さんが僕の部屋に来られて「お前、抑えな」と言われました。
――2月1日のキャンプイン当日に紅白戦をするという前代未聞の試みもありました。
戸惑いはありました。でも、監督がやると言った以上はやるのだろうと思って、キャンプイン当日まで7~8割は仕上げておきました。例年だと5割くらいの状態でキャンプに入るのですが。
――通常の4勤1休ではなく、6勤1休のキャンプでもありました。休みたいという思いはなかったですか?
ありましたけど、それも上が決めることなので。選手は決められたことをやらないといけませんから。といっても、投手陣は練習できることは限られていますし、夜遅くまで練習していた野手陣は大変そうでしたね。
――川崎憲次郎投手を開幕投手に起用するサプライズもありましたが、岩瀬さんも知らなかったのでしょうか。
当時は予告先発がなく、中日の先発投手の情報管理が徹底されていたのは事実です。内部の僕らも知らなかったくらいなので、相手チームも驚いたんじゃないですか。2004年の開幕戦は川崎さんがスーツで球場に来たのを見て、「憲次郎さん、先発するんだ……」とわかりました。ホームの場合、先発投手はスーツで球場入りすることが多いので。完全に裏をかかれましたが、振り返れば「そういうことか」と思うところもあります。
――「そういうことか」と言いますと?
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