連載:2004年・新人監督落合博満

川上憲伸が明かす「新人監督落合博満」 いまだに謎、「ダメだろ」と思った開幕投手

菊地高弘
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落合監督の1年目にエースとして活躍した川上憲伸さん 【写真:株式会社ジャパン・スポーツ・マーケティング】

 北海道日本ハムのBIGBOSS、中日の立浪和義監督。プロでのコーチ経験を持たない2人の監督就任は大きな話題を呼んだ。しかし、新人監督が結果を残すことは容易ではなく、両チーム共に前半戦は苦しい戦いが続いている。

 だが過去には同じようにコーチ経験を経ず、就任1年目からリーグ優勝を果たした監督もいた。その一人が『嫌われた監督』のヒットも記憶に新しい、2004年の中日を率いた落合博満監督だ。

 そこで、当時の関係者たちの声を聞き、改めて2004年の「新人監督・落合博満」を振り返ってみたいと思う。第1回目はエースとしてチームを支えた川上憲伸さんにお話を伺った。

「それはないだろう」仰天の新監督・落合博満

最多勝、MVP、沢村賞など2004年の優勝に大きく貢献する活躍を見せた 【写真は共同】

――2003年秋に落合さんが監督に就任すると聞いた時、どんな感想を抱きましたか?

 率直に言えば、想像外。「えっ!?」という感じでした。10月くらいから選手の間でも「どの人がなるかな?」と話し合っていて、牛島(和彦)さんじゃないか? 大島(康徳)さん? 他にも田尾(安志)さんなど、ゆかりのある方たちの名前を挙げて予想していました。トレーナーさんが「落合さんは?」と言ったのですが、みんな「それはないだろう」という反応でした。

――落合さんは監督就任会見で選手補強をせず、10%の底上げで優勝できると発言し、大きな話題になりました。

 僕だけかもしれないですけど、その発言が記憶にないんですよね。でも、実際に2002年くらいからレギュラーメンバーはほぼ固定されていましたから。戦っていて、何一つ他球団に劣る感覚はありませんでした。

――前年の2003年はリーグ2位だったとはいえ、1位の阪神と14.5ゲーム差。山田久志監督は9月上旬に解任されています。エディ・ギャラード投手が首脳陣との確執から退団(横浜へ移籍)、代わりに抑えで活躍した大塚晶則投手がMLBへ移籍とリリーフ陣への不安があっても不思議ではなかったと思うのですが。

 正直言って、あまり不安は感じていませんでした。リリーフは毎年誰かしら入れ替わりがあるものですから。それに岩瀬(仁紀)さんと落合(英二)さんがいて、7~8回を抑えられるのがドラゴンズの強みだと思っていました。むしろ、岩瀬さんがストッパーになるのが驚きでした。僕は抑えより7~8回が大事だと考える人間なので。ピンチで継投することが多いのは、7~8回ですから。

――落合さんは2004年2月1日のキャンプイン当日に紅白戦をすると宣言しました。調整も大変だったのではないですか?

 球団スタッフから連絡を受けたのですが、最初は半信半疑でした。僕を含め大半の選手は、落合さんがどんな人なのか知らないわけです。それでも、一緒にプレーした経験のある人からは「落合さんは変わっているから、本当にそういうことをやるよ」と聞きました。不安はありましたが、「試合で見てみたいレベル」の話だろうと判断して、サイパンでの自主トレは立ち投げ程度の調整をしておきました。それなのに、紅白戦では147キロも出てしまったんですけど(笑)。

「ダメだろ」と思った「開幕投手・川崎憲次郎」

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著者プロフィール

1982年生まれ、東京都育ち。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。元高校球児で、「野球部研究家」を自称。著書『野球部あるある』シリーズが好評発売中。アニメ『野球部あるある』(北陸朝日放送)もYouTubeで公開中。2018年春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)を上梓。

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