「もしF1復帰があるならコンストラクターとして…」ホンダ元MD・山本雅史が語る舞台裏と角田への期待
今後はコンサル、講演活動、国内のレース活動という3本柱に
昨年のシーズン前にはホンダを辞めることを決めていたという山本(右) 【Photo by Mark Thompson/Getty Images】
山本 モータースポーツ部長、F1のマネージングディレクターという肩書きでやってきたこの6年間は、とにかく忙しい毎日でした。海外に行くことも多く、家族と過ごす時間がほとんどなかった。あらためて家族とゆっくり過ごしたい。それがひとつです。
年齢的にも57歳ですし、ホンダでこの先何ができるかということも考えました。いままでの仕事人生では関わった人たちとウィンウィンの関係になることを重視してきた。そういうホンダで学んだことを生かせば、違った立場でも人に喜んでもらうことが何かできるんじゃないか。そう思って、ホンダを辞めることにしました。
──いつごろ決断したのですか?
山本 昨年(21年)の3月、まだF1が開幕する前でしたね。その前の年末年始は、ずっと妻に相談していました。親しい先輩たちにも相談して「21年限りでホンダを辞める」という覚悟で、良いも悪いも頑張ろうと決めた。どんなに嫌われようが、とにかくチャンピオンを取るという決意でした。
覚悟はできていましたね。みんなが悩んだとき、少し背中を押してあげる役割、この1年はそれに徹しました。
──今後はご自分で新会社を設立するのでしょうか?
山本 はい。「MASAコンサルティング・コミュニケーションズ株式会社」です。身近な人からはマサと呼ばれているので、それが由来です。
──新会社での主な活動は?
山本 まずはレッドブルパワートレインズ(レッドブル・レーシングのパワーユニットの開発、組み立てを担当するレッドブル社の子会社。以下RBP)の業務を請け負います。
──具体的な業務は?
山本 ホンダとRBPの橋渡しと言いますか。昨年までの立ち位置はホンダの社員として、レッドブルとの交渉のパイプ役を担ってきた。それが今度は逆の立場で、レッドブル本体、あるいはRBPとホンダとの交渉で間に入る。クリスチャン・ホーナー代表とヘルムート・マルコ博士の指示を受けて、コンサルティング、サポート業務をするということです。
年末あたり、僕がレッドブルに移籍するような報道が流れましたよね。でも、それは誤った情報で、僕としてはさまざまな分野の仕事をしたい。その中のひとつとしてレッドブルもある。でも、決してそれだけには縛られたくないということです。
──国内での仕事もするのですか?
山本 講演会などを依頼されているほかに、まだ決定ではないですが、国内トップフォーミュラであるスーパーフォーミュラにも関わるかもしれません。正式に決まったら、お知らせします。
──新会社の主な業務は、RBPとのコンサルタント、講演活動、国内のレース活動という3本柱ということになりますが、これだけですでに超多忙ですね。
山本 そうなんですよ。なので奥さんからは、「(早期退職は)家族のためとかなんとか、都合のいいことを言っていたけれど、結局は家にいないでしょう」と言われましたね(苦笑)。