連載:高校サッカー選手権 名将の哲学

国見で高校サッカー選手権6度の優勝 名将・小嶺氏は弱小校をどう強化したのか

栗原正夫

高校サッカーの名将といえば、必ず名前の挙がる小嶺忠敏氏 【栗原正夫】

 高校サッカーの名将といえば、小嶺忠敏氏(76)のことを思い出す人は多いだろう。島原商、国見、長崎総合科学大学附属(以下、長崎総科)を率い、全国大会出場は100回を超える。とくに印象深いのは国見時代で、1984年に赴任すると86年度から06年度まで21年連続で冬の選手権に出場し、同校を戦後最多タイの6度の優勝に導いた。

 その間に高木琢也(現SC相模原監督)、三浦淳寛(現ヴィッセル神戸監督)、大久保嘉人(セレッソ大阪)、平山相太(元FC東京など)、徳永悠平(元FC東京など)ら多くの日本代表選手も輩出したきた。いったいどんな指導哲学で常勝チームを作り上げてきたのだろうか。

 現在も長崎総科で指揮を執る小嶺氏は、国見赴任当時を思い出しながら、こう話し始めた。(取材日:10月28日)
「84年に島原商から国見に転任したときは、なんであんな高校に行くんだと言われたものです。当時の国見はすごく荒れていて、私が赴任する2、3年前には生徒が吸ったタバコが原因で校舎が火事になったこともあったほどでした。あるときは謹慎中の生徒がバイクで学校に乗り込んできたこともありました。指導者仲間だった山口良治さん(テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公・滝沢賢治のモデルとなった、京都市立伏見工業高校ラグビー部元監督)にその話をしたら、彼は見に来てくれて『(ウチ)と同じくらいひどい』と言っていました。

 校庭は野球部が幅を利かせていて使用できず、町長に頼んで借りたグラウンドも草が生い茂っていました。そこに自腹で5万円を出して買ったゴールを置いて、海苔の養殖に使う網を張っているような状態で、選手を集めるのも大変でした」

高校サッカーの指導は、まず人間教育

小嶺氏はピッチ内のことよりも、挨拶や身なりを整えるしつけを徹底することでチームに規律をもたらしてきた 【栗原正夫】

 弱小からのスタートだった。ただ、小嶺氏はそこから熱い情熱とブレない信念で国見を全国有数の強豪に鍛え上げていった。公立校だけに有望な選手を集めるのは簡単ではなかった。それでも、県外から慕ってくる選手のために自宅の2階や空き家となっていた老人ホームを寮とし、食事の世話は妻や母親に任せた。

 練習は朝の6時10分から7時半、午後4時から6時半の2回で、毎日必ず姿を見せた。当初は練習時間になっても選手が集まらなかったため、選手一人ひとりの自宅を回るなど送り迎えをすることもあった。部員は全員坊主頭。それが国見サッカーの象徴でもあった。小嶺氏はピッチ内のことよりも、挨拶や身なりを整えるしつけを徹底することでチームに規律をもたらしてきた。
「最近の指導者のなかには、自分は練習に遅れて来ながら選手に話すことだけは立派な者もいます。それで何か事が起きると、選手にも親御さんにも‟おべんちゃら”を使う。基本ができていないというか、高校サッカーの指導はまずは人間教育ですから。私は38年間の教師生活で、最後の6年は校長をしておりましたが、授業も練習も特段の理由がない限り一秒たりとも遅れたことはありません。時間に遅れないこと、挨拶をきっちりすることは人としての基本。それを積み重ねていくと、チームもよくなるものです」

北海道・室蘭大谷の躍進が闘志に火をつけた

78年度の選手権で北海道の室蘭大谷が準優勝を遂げたことに、大きな刺激を受けた小嶺氏 【写真は共同】

 国見に赴任する前、小嶺氏が68年に島原商で指導を始めたとき、部員はわずか13人だった。当時は九州のチームが全国大会で1回戦を突破するのも難しい時代。ただ、あるキッカケが小嶺氏の心に火をつけた。

「指導者になったばかりの頃、高校時代の仲間に『日本一を目指す』と言ったら、『もし優勝したら島原中を逆立ちして歩く』と笑われました。

 77年に夏のインターハイで長崎県勢として初優勝しましたが、冬の選手権は無理というのが世間の評価でした。ただ、78年度の選手権で北海道の室蘭大谷が準優勝を遂げたことに、大きな刺激を受けました。正月明けに準優勝の祝賀会にも呼んでいただき、北海道に行きました。そしたらグラウンドには1メートル以上の雪が積もっていました。室蘭大谷は決勝でこそ敗れましたが、北海道では冬場はグラウンドが使えず、夕暮れだって早い。対して、長崎は一年中サッカーができるし、日も長い。そんな状況を目の当たりにし、地理的な言い訳などできないと自分の甘さを痛感しました。コツコツやっていけば私にもチャンスがあると思ったんです」

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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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