連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

鹿児島工卒業後は野球を辞めて一般企業へ 二児の父となった今吉晃一が抱く夢とは

沢井史
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鹿児島工を卒業後は、大手鉄鋼会社に就職した今吉さん。社の野球部にも入らず、激務が続く中、今ではプライベートで身体を動かすこともほとんどないそうだ(新型コロナウイルスの感染防止に努め、撮影時のみマスクを外しました) 【沢井史】

 その独特のキャラクターで甲子園の人気者となった今吉晃一さんだが、鹿児島工を卒業後はきっぱりと野球を辞め、大手鉄鋼会社に就職する。コツコツと働き続け、二児の父親になった現在は、草野球をすることもなければ、テレビでプロ野球観戦をすることもほとんどないという。そんな今吉さんが、幸せを感じる瞬間とは──。コロナ禍における、これからの夢を語ってもらった。

甲子園後の体育祭では応援団長を務める

 2006年夏の甲子園の準決勝で、早稲田実に敗れた鹿児島工。今吉晃一ら選手たちは地元・鹿児島へ飛行機で帰ったが、空港では多くのファンが彼らを出迎え、その様子はテレビのニュース番組でも伝えられた。

 体育祭には校外からもファンが押し寄せ、今吉はまるでアイドルのような騒がれ方をした。なかには、すっかりトレードマークとなった坊主頭を撫でようとする者もいたというが、そんななかで今吉は、あえて目立つ応援団長を務めている。

 県内出身の選手ばかりが集った野球部のメンバーには、今吉のような目立ちたがり屋が多く、学校では周りが手を付けられなくなるほどの大騒ぎをしてしまうことも度々あったようだ。

「勢いに乗ると、さらに元気になってしまうんです。自分たちの学年は県の1年生大会で優勝したんですが、中継していたテレビ局の実況が聞こえないくらいベンチでワーワーと騒いでいましたからね(笑)。その時、監督にも言われたんです。『喧嘩は多いし、言いたいことを言い合う、まるで兄弟みたいなチームやな』って」
 

今吉が抱いていた密かな夢

甲子園で伝令に出た今吉さんがチームメイトに頭を撫でられる。兄弟のように選手同士の仲が良かった鹿児島工は、初出場でベスト4まで勝ち上がった 【写真は共同】

 練習が終わってヘトヘトになっていても、翌日が休みの時はそれからみんなでサッカーをしたり、どこかに遊びに出掛けたりするほどメンバー同士の仲が良く、仲間意識は非常に強かった。地元の野球少年たちだけで手にした甲子園ベスト4という輝かしい成績は、榎下陽大と鮫島哲新の不動のバッテリーだけでなく、メンバー全員の力によるものだ。もちろん、今吉というラッキーボーイの存在も大きかった。

 ただ、甲子園でかけがえのない経験をした今吉だが、高校卒業後は野球を続けず、一般企業に就職する。工業高校は就職率が高く、当時も多くの求人があったそうだが、実は彼には密かな夢があった。
 
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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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