連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

花巻東を卒業後、千葉翔太が歩んだ道 社会人3年目のプロ入りの夢を断たれて

上原伸一
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現在は地元の岩手・奥州市で暮らす千葉さん。大学、社会人を通して鍛え上げた証だろう。昨年11月に引退したばかりで、二の腕は太くたくましく、胸板も分厚かった(新型コロナウイルスの感染防止に努め、撮影時のみマスクを外しました) 【上原伸一】

「カット打法」で甲子園を沸かせた千葉翔太さんは、花巻東を卒業後、どのような道を歩んできたのだろうか。一時は確固たる目標を見失いかけた大学時代、3年目でのプロ入りを目指した社会人時代を振り返りつつ、昨年11月に現役生活にピリオドを打った決断の背景を、本人の口から語ってもらった。

大学では4年生エースの戸根千明と同部屋に

日大では高校時代とは異なる環境に戸惑い、モチベーションの維持も難しかったというが、それでも3年秋には東都1部優勝に貢献し、明治神宮大会にも出場した 【本人提供】

 千葉翔太は花巻東を卒業すると、日本大学に進む。

 日大は古くからの東都の名門で、千葉の入学以前にリーグ優勝22回の実績があった。監督の仲村恒一(当時、昨年限りで勇退)は、千葉の役割を踏まえた粘り強い打撃を高く買っていた。

 寮とグラウンド、そして在籍していた生産工学部のキャンパスもある千葉県習志野市での新しい生活が始まった。

「大学でも自分の打撃スタイルを変えるつもりはありませんでした。“つなぎ”で生きていこうと。バットは金属から木製になったので、短めのほうが扱いやすいと考え、83センチのものにしました。重さは(900グラム以上と規定があった高校時代よりも軽い)850グラムくらいです。ミートには自信があったのですが、木製を握ったばかりの頃はよく折りましたね(苦笑)」

 大学では木製バットだけでなく、高校時代には経験したことがなかった、運動部特有の上下関係にも戸惑った。また、部員約150人の大所帯だった関係で、練習時間が日によって異なり、そのサイクルに慣れる必要もあった。

「花巻東でも先輩、後輩のけじめはしっかりありました。ただ大学ではより厳しかったので……これには驚きましたね。そんな僕を自分の部屋に招き入れてくれたのが、4年生エースの戸根千明さん(現巨人)でした。部屋は4年から1年まで各1名ずつの4人部屋でしたが、戸根さんのおかげで余計な気を遣うことなく生活できました。ありがたかったですね。戸根さんには本当に良くしてもらいまして、結婚式にも大学の同期の中でただ1人、出席させてもらったんです」

 こうした中、千葉は1年春からベンチ入りし、さっそく代走でリーグ戦デビューを果たす。当時、東都の2部だった日大は、ホーム&ビジター方式(自校と対戦校のグラウンドで1試合ずつ行う)で戦いながら、1部昇格を目指していた。

「大変だったのは移動に時間がかかったことです。相手校も事情は同じですが、かなり距離がある学校ばかりでしたから。それと観客席がないグラウンドで試合をするのは、どこかオープン戦のようで……(※東都2部は長らく神宮第2球場を使用していたが、千葉が入学した14年春から試合会場が各校のグラウンドに。16年春からは球場を借りて開催されている)。1年の時は無我夢中でしたが、2年になるとモチベーションの維持が難しくなりました。高校時代の甲子園のような、確固たる目標がなくなったこともあります。チームは2年春に1部リーグに復帰したものの、2年時はベンチに入ったり入らなかったりでしたね」
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著者プロフィール

上原伸一

1962年、東京生まれ。外資系スポーツメーカーなどを経て、2001年からフリーランスのライターになる。野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の『週刊ベースボール』、『大学野球』、『高校野球マガジン』などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞『4years.』、『NumberWeb』、『ヤフーニュース個人』などに寄稿している。

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