ジェッツが日本中のPR担当に支持された!? コロナと戦う「プロジェクト」の裏側
混乱の中での短期決戦が幕を開けた
浦和レッズのファンである事業推進部の芳賀は、埼玉スタジアムのスタンドからインスピレーションを得た 【(c)CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:JunjiHara】
芳賀は振り返る。
「三浦が千葉ジェッツ公式Twitterで『#コロナに笑利』のタグを使って発信を始めていました。バレーボールの久光製薬さん、ラグビーのNTTコミュニケーションズさんがそのタグを使って発信してくれている、とも聞いていましたし、ジャンボくんのアカウントとか、スタージェッツのアカウントも『#コロナに笑利』を使って発信しはじめていました。私とか平野は『お客様に何を提供できるのかな』と考え始めました。」
彼らの動きには、二つの制約条件があった。それはまず時間で、もう一つは費用だ。無観客試合でチケット収入が減れば、経営は脅かされる。クラブが存続するために、支出を抑制して来季以降に備える必要もあった。
芳賀は言う。
「(通常の試合でやっている)プロジェクションマッピングは出せず、簡素に開催してほしいと会社から言われていました。その中でもできることは何かないかな? と平野と一緒に考えました。船橋アリーナはお客さんが座っていないと、席が灰色っぽく見えてしまう。あまりに無機質だし、それを見せるのはジェッツらしくない。そして、何より会場に来られないブースターの方たちと一緒に戦う気持ちを表現できないかと考えました」
芳賀は浦和レッズのファンで、千葉に入社する前は芸能プロダクションへ勤務していた。そんな彼の脳裏に浮かんだものが、埼玉スタジアム2002のスタンドだった。
「この仕事を始める前は、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)の優勝がかかっているような試合なら必ず見に行って、そういう試合で出されるコレオグラフィが印象的でした。船橋アリーナは座席数が少ないし、あそこまで表現できないけど、例えば真っ赤にするとかは可能です。選手やお客さん、世の中に対して勇気づけるメッセージを表現できればやる意味が絶対あります、と会社を説得しました。一つラッキーだったのが、私達に中止後初めてホームゲームを開催できる権利があり、しかも宇都宮戦だったことです。注目カードだからメディアさんが来て、たくさんの視聴者さんに見てもらえる。情報拡散、PRにつながるとも考えて会社を説得しました」
コロナ禍でも追及したエンターテインメント性
ファン、ブースターの声を選手に届ける「言の葉の翼」を担当した、経営企画管理部の平野 【(c)CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:JunjiHara】
「コロナ渦だったので『ただ試合を開催できることだけでもいい』という声もありました。しかし、こんな時だからこそジェッツが以前から掲げている地域愛着だと思いました。ブースターの方と話しても『週末に試合を見るだけで仕事を頑張れます……』というような声をよくいただきます。船橋アリーナはありがたいことにいつも満員で、会場全体が一体となって真っ赤に染まり、そして声を出して応援してくれていました。こんな時でもブースターは絶対一緒に戦いたいと思ってくれていると信じていましたので、それをどうにか表現できないかなと芳賀と考えて、なるべく低コストで、それでもキレイに、みんなの想いがカタチになるようにやりました。やりがいはすごかったですけれど、死にものぐるいでしたね」
平野は2013年の入社で、千葉が人気チームでない時代を知っている。高校まで本気でバスケ部に取り組んだキャリアを持ち、スクールコーチの経験もある“バスケ愛”の持ち主だ。彼女は二人の仲間をこう評する。
「芳賀は熱い男です。バスケ経験者ではないんですが、社内で一番ブースターのために、その先の人たちのためにと考えて、みんなに伝えて行動している人です。なので一番ぶつかっているかもしれません。三浦はコピーライターもしていて言葉の使い方もうまいし、営業経験もあって、一緒に働いていて勉強になります。できないところをいえば、二人とも事務作業が苦手ですね(笑)」
コロナ禍でもエンターテインメントの質を保ちたい、ブースターに思いを届けたい――。そんな情熱が原動力だった。それがクラブ、地域のためになると二人は信じていた。芳賀、平野は時間やコストという強敵と戦いながら、14日の宇都宮戦に向けた準備を一気に進めていく。
<第2回へ続く>
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