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PL学園「甲子園の名勝負」
元NHK小野塚康之アナが選んだ試合は?

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選手への愛情に満ちた「絶叫実況」で高校野球ファンに親しまれてきた小野塚氏。PL学園が数々のドラマを生んだ甲子園球場の前で
選手への愛情に満ちた「絶叫実況」で高校野球ファンに親しまれてきた小野塚氏。PL学園が数々のドラマを生んだ甲子園球場の前で【写真提供:小野塚康之】

 高校野球ファンならその名前を知らない者はいないだろう。NHKのアナウンサーとして実況に40年以上携わり、現在はフリーとして活動している小野塚康之氏(63)。高校野球実況の第一人者として知られる小野塚アナが、今回、甲子園球場の近くにある自宅からリモート取材でPL学園への思いを1時間以上語ってくれた。思い出に残る試合として挙げた数々の名勝負にまつわるエピソードも強烈だ。PL学園がなぜ強豪校として君臨し続け、そして私たちの心に深く刻まれるのか……。綿密な取材に裏付けられた小野塚アナの分析には説得力があった。

「これ以上の高校はない」と思われた池田を圧倒した衝撃

向かうところ敵なしだった池田を、4番もエースも1年生というPLが7-0で撃破。小野塚氏は「あれ以上の衝撃はない」と語る
向かうところ敵なしだった池田を、4番もエースも1年生というPLが7-0で撃破。小野塚氏は「あれ以上の衝撃はない」と語る【写真は共同】

 PL学園は「高校野球に革命を起こした」高校だと小野塚康之アナは熱く語る。


「高校野球の歴史上、学校名にアルファベットが入った甲子園優勝校はPLしかない。僕にとってはビジュアルな学校なんですよ。野球の放送の歴史はラジオから始まりましたが、テレビで印象付けたのがPLだった。アルプススタンドは添え物でしかなかったのに、あのPLの人文字が出てきた瞬間にカメラが意識するようになった。


『スタンドで何が起きるのか』と実況中継が始まる。『進めPL』から『春 花咲く』に人文字が変わる瞬間を撮る。それまではグラウンドで繰り広げられるプレーしか映像で撮らなかったけど、スタンドの光景も非常に重要な要素になりました」


 メディアに携わる人間として、PL学園の登場は新鮮であり斬新だった。ただ物珍しかったのではない。高校野球の枠を超えて社会現象になったのが、清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」で黄金時代を築いた1983〜85年の3年間だった。KKコンビは1年夏から5季連続で甲子園に出場し、2度の全国制覇、2度の準優勝と輝かしい成績を収める。


 小野塚アナが最も印象に残る試合として挙げたのは、清原、桑田が1年生だった83年夏の準決勝、3季連続優勝を目指す池田高を7-0で撃破した一戦だ。


「桑田投手が完封、さらにホームランも打って、エース・水野雄仁擁する池田高を圧倒した。あれ以上の衝撃はないです。池田高は全国制覇した前年夏に、準々決勝で早実のエース・荒木大輔をメッタ打ちにして14-2と圧勝しています。


 あの時の池田高は当時では珍しくウエイトトレーニングを導入するなど、パワーとフィジカルを前面に押し立てたスタイルで高校野球を変えた。力強いスイングからの打球が速すぎて内野ゴロがヒットになる。これ以上の高校は出てこないだろうと思ったら、1年後にKKコンビが出現して投打で圧倒した。


 当時は『すごい』で片づけられたけど、時代を進めようとした池田高の野球に対し、PLは技術をベースにしたそれまでの伝統も引き継ぎつつパワーも取り入れて大きくステップしたチームだと思います。高校野球の歴史が動いた2年間でした」

PLの良さが出ないまま負けた唯一の試合

KKコンビ2年の春、決勝で岩倉に敗れて2季連続優勝を逃す。当時、小野塚氏は「なぜ負けてしまったのか」と頭の中がクエスチョンマークだらけになったという
KKコンビ2年の春、決勝で岩倉に敗れて2季連続優勝を逃す。当時、小野塚氏は「なぜ負けてしまったのか」と頭の中がクエスチョンマークだらけになったという【写真は共同】

 KKコンビは高校野球をテレビ観戦する視聴者の見方も変えたと指摘する。

平尾類

1980年4月10日、神奈川県生まれ。一般紙、スポーツ紙、マネジメント会社勤務を経て独立。現在はライター、アスリートのマネジメント業などの活動をしている。

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