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やべっちが中田浩二を大好きな理由
「“世界のナカタ”じゃない方の…」
『やべっちスタジアム』番組MC矢部浩之さん(左)と豪華解説陣のクロストーク。最終回は中田浩二さんが登場
『やべっちスタジアム』番組MC矢部浩之さん(左)と豪華解説陣のクロストーク。最終回は中田浩二さんが登場【浦正弘】

 連載企画『やべっちF.C.の功績 新番組やべっちスタジアムの全貌』の延長戦としてお送りしている豪華解説陣と、番組MC矢部浩之さんのクロストークも今回が最終回。名波浩さん、中山雅史さんに続き、中田浩二さんが登場する。空気を読む中田さんと、空気を大事にする矢部さんが醸し出す穏やかな雰囲気は、対談からも伝わってくる。

ジダンがやべっちに発した自虐ネタ

シドニー五輪の頃から中田さんと交流がある矢部さん。その頃から「ずっと変わらない。温厚なまま」と称賛する
シドニー五輪の頃から中田さんと交流がある矢部さん。その頃から「ずっと変わらない。温厚なまま」と称賛する【浦正弘】

 機微を読む人たちがいる――。その場でたゆたう空気を感じ、次の出方を予測する。18年続いた『やべっちF.C.』(テレビ朝日系列)の後継番組としてDAZNで配信されている『やべっちスタジアム』の番組MCを務める矢部浩之さんと、解説を務める中田浩二さん。このニュートラルなふたりが醸し出す穏やかな雰囲気。それは、抜け感と呼ぶべき“やべっちイズム”のひとつとして新番組にも存在し続けている。


 面白いことに、矢部さんは中田さんを必ず“中田浩二”とフルネームで呼ぶ。そこにはリスペクトが込められている。付き合いは『やべっちF.C.』開始前までさかのぼる。


矢部「シドニー五輪代表のときに、みんなで食事に行ったこともありました。そのときからまったく印象が変わらないんですよ、中田浩二は。ずっとこのままです。みんな若いし、僕も当時は若かったし、カラオケにも行ったな。その後も、『やべっちF.C.』に出演していても、食事をしていても本当に変わらない。温厚なこのままの感じなんです」


中田「僕は、テンションが急に上がることがないんですよ。それは矢部さんも同じ。選手時代からいつも気さくに話してくれて、いまもその関係のまま続いています」


矢部「オレが偉いなと思って、それで中田浩二のことをますます好きになったことがあるんですよ。自分のことを、あるときから『世界の中田(英寿)じゃない方の中田です』って言い始めて。それ聞いて、めちゃめちゃ偉いなと思ったんです。学生時代から各カテゴリーでスター街道を走ってきた。本当になかなかできないことなんです。それが言えるのは大人やし、得すると思うんです」


中田「これ、まあまあウケるんです(笑)。それで、覚えてもらえますしね」


矢部「いやいや、自分も“世界のナカタ”やから(笑)」


中田「いやいや」


矢部「マルセイユや、スイスのバーゼルに行ってプレーしてたのに、そうやって言えることが偉いなって思いました。僕はそれを聞いて、ジネディーヌ・ジダン(現レアル・マドリー監督)のことを思い出しました。僕、ジダンが出してくれた宿題を目の前で成功させたんです。そしたら『髪型以外は僕にソックリだよ』という自虐ネタを言ったんです。もう瞬間的に『好きー!』ってなりました(笑)。そういうことができるのは、ブレないものがあるし、自信がある人間なので、そこから中田浩二のことも、いいなって思いました」

番組の価値向上は“黄金世代”のおかげ

どんな指揮官にも重用されてきた中田さん。バランサーとしての能力は、小学生時代の出来事にあった!?
どんな指揮官にも重用されてきた中田さん。バランサーとしての能力は、小学生時代の出来事にあった!?【浦正弘】

 中田さんは、小野伸二らと共に1999年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)で決勝に進出し、日本サッカー界の金字塔を打ち立てたひとり。そのメンバーは“黄金世代”と呼ばれ、サッカー後進国である日本サッカー界の未来を照らす光となった。


 一方、今年で結成30周年を迎えたナインティナインも長年、トップランナーとしてテレビの最前線で活躍し続けてきた。同世代の番組スタッフと話していると、当時のナインティナインが出演していた番組の細部に至るまで鮮明な記憶がよみがえってくる。そんな土曜夜8時のヒーローと“黄金世代”は、僕ら下の世代にとっては常に憧れの的だった。


矢部「『やべっちF.C.』はゴールデンエイジが大きくしてくれた番組だった。番組の価値を上げてくれたと思っています。彼らがテレビでしゃべったり、僕とボールを蹴ってくれた。それが当たり前になっていって、彼らの下の世代も番組に出たいと言ってくれるようになった。それはデカいですよね」


中田「いつもそうおっしゃっていただけるんですけど、僕たちは全然分からないんですよね。毎回、矢部さんと絡めるだけでうれしかったので、喜んで出演していました」


矢部「ほんまに、79年組は当たり年ですよ」


中田「まあ、小野伸二という化け物がいたので」


矢部「やっぱり別格?」


中田「別格ですね。そこに僕たちも引っ張られていった。普通で言えば、高原(直泰)、稲本(潤一)も化け物ですよ。僕らは彼らに必死についていくし、でも、負けたくないという気持ちを持っていた。遠藤(保仁)や、僕、小笠原(満男)も彼らと切磋琢磨していったという感じでした」


 きら星のごとく集まった才能の中で、中田さんはどんな指揮官にも重用されてきた。ひとつのポジションに収まらず、本職の守備的MFだけでなく、時には最終ラインでもプレーしてきた。そこに、空気を読む秘訣(ひけつ)の一端がある。


中田「僕、小学校のときは転校生だったので、どちらかというと、バランスを見る子供だったんです」


矢部「なるほど! それはつながるわ」


中田「そういうところが少なからずプレースタイルに関係しているかもしれません。自分がグイグイ出て行くよりも、一歩下がって周りを見渡す。そうやって入っていくタイミングをいつも探っていました」

馬場康平

1981年10月18日、香川県出身。地域新聞の編集部勤務を経て、2006年からフリーに。現在、『東京中日スポーツ』等でFC東京担当記者として取材活動を行う。2019年に『素直 石川直宏』を上梓した。

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