連載:高校サッカー選手権 あのヒーローはいま

いまは都内の不動産会社でサラリーマン 田原豊が「プロで成功できなかった理由」

栗原正夫
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現在は都内の不動産会社に勤務する田原豊。第2の人生を歩んでいる 【栗原正夫】

「絶対にみんな僕なんかが普通の仕事を続けられると思っていなかったでしょうね(苦笑)。でも、引退してもうすぐ丸5年。いまは都内の不動産会社で投資用マンションなどの営業をしています。ビシッとする格好は好きじゃないですけど、お客さんと会うときはちゃんとスーツを着ています」

 鹿児島実業OBで、かつて圧倒的なフィジカルの強さを生かしたダイナミックなプレーと、物怖じしない言動でスケールの大きな選手として知られた田原豊。Jリーグでは横浜F・マリノス、京都サンガ、湘南ベルマーレ、横浜FCと渡り歩き、15年の鹿児島ユナイテッド(JFL)でのプレーを最後にキャリアを終え、いまは第2の人生を歩んでいる。

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 現役時代85キロだった体重は、100キロを超えた。だが、いまも休日に友人たちに誘われれば、ボールを蹴っている。

「ちょこちょこですけどね。もう38歳ですし、これだけ太ったら思うようなプレーはできないし、やればやるほどストレスがたまっています(苦笑)」

 地元の鹿児島に戻った最後のシーズンは、膝のじん帯を断裂し、1試合に出場しただけ。呆気ない幕切れに、やり切った感はなかった。それでも、人生は続くだけに一度サッカーから離れることにした。

「ちょうど33歳のときで、まだやりたい気持ちもありましたけど、歳も歳だったので難しくて。サッカー関係の仕事をするという選択肢もあったのですが、そこにはいつでも戻れる気もして。ただ、ほかの仕事をするなら、早い方がいい。そう思って始めたことが、いまにつながっています」

フィジカルには絶対の自信があった

田原豊「本当にGKとの一対一は苦手でしたからね。でも、浮いたボールはめちゃくちゃ得意でした」 【写真:川窪隆一/アフロスポーツ】

 和製イブラヒモビッチ。そのフィジカルの強さとアクロバティックなプレースタイルから、現役当時の田原をそう称する報道も少なくなかった。あるいは、ネット上では難易度の高いシュートを決めたかと思えば、イージーなシュートミスが目立ったことで、和製クライファートと名付けられたことも。いずれにしろ、その能力の高さを買われたがゆえの呼称だったが、田原は自身のプレースタイルをどう感じていたのか。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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