連載:高校サッカー選手権 あのヒーローはいま

鹿実が生んだフィジカルモンスター田原豊「練習は好きでも、走るのが嫌いだった」

栗原正夫
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田原は99年度の78回大会で1つ先輩の松井大輔(現サイゴンFC)と強力2トップを形成し、チームを決勝まで導くなど強烈なインパクトを残した 【写真:川窪隆一/アフロスポーツ】

「本当に自由にさせてもらいました。中学時代はやんちゃもしていましたけど、高校では停学も1回もなく、きっちり卒業できましたから(苦笑)。松澤(隆司)監督は、人の性格をしっかり見ているというか、『僕に何か言えば、コイツは不貞腐れて終わっていくだろう』というのが分かっていたんだと思います。

 だから、周りの選手にはめちゃくちゃ怒っていましたけど、僕はほとんど怒られた記憶がない。鹿実の練習って、めちゃくちゃ厳しそうって言われますけど、僕らの時代にはブラジル人コーチもいて、闇雲に走るってこともなかったし、本当に恵まれていたと思います」

 かつてJリーグの横浜F・マリノスや京都サンガ、湘南ベルマーレなどで屈強なフィジカルを武器にストライカーとしてプレーした田原豊に、鹿児島実業高時代の思い出を聞くと、薄っすらと笑みを浮かべながらそう言った。

 田原が冬の全国高校選手権に出場したのは2年時の一度だけ。だが、田原はその99年度の78回大会で1つ先輩の松井大輔(現サイゴンFC)と強力2トップを形成し、チームを決勝まで導くなど強烈なインパクトを残した。田原のなかに当時に記憶は、どんな風に残っているのだろうか。
 鹿児島実業は1回戦で松商学園(長野)、2回戦で国見(長崎)、3回戦で真岡(栃木)を連破すると、準々決勝では帝京(東京A)に2-1と逆転勝ちし、ベスト4進出を決めた。田原は決勝までの全6試合に出場し、3ゴールを挙げたが、帝京戦でのゴールが最も印象に残っているという。

 鹿児島実業は、前半に田中達也(新潟)のゴールで帝京にリードを許すも、田原がCKから高い打点のヘッドで決めて同点とすると、その後の松井の決勝弾で2-1と帝京を振り切った。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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