連載:プロ野球日本シリーズ 熱戦の系譜

直近10年で6度の日本シリーズ制覇 黄金時代を迎えたソフトバンクの名勝負

前田恵
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直近10年で6度の日本シリーズ制覇。黄金時代到来中のホークス、熱戦の系譜をお届けする 【写真は共同】

 直近10年で5度のリーグ優勝と6度の日本一を達成。2017年以降、日本シリーズの連覇を続ける福岡ソフトバンクは今、黄金時代を迎えている。前身の南海、ダイエー、そしてソフトバンクの日本シリーズの戦いを振り返る。

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「なんかい戦っても巨人に勝てない」

不世出の捕手・野村克也(左)をもってしても、巨人の壁は厚かった(右は長嶋茂雄) 【写真は共同】

 日本シリーズにおけるホークス激闘の歴史は、3つの時代に分けることができる。1950年から88年の南海時代、89年から2004年のダイエー時代、05年から現在に至るソフトバンク時代だ。

 1950年代、60年代の南海ホークスは強かった。「百万ドルの内野陣」と呼ばれた鉄壁の守備と機動力で、51年からリーグ3連覇。しかし、日本シリーズでは巨人の前に3連敗。55年は第7戦まで粘りながら涙を飲み、「なんかい(南海)戦っても巨人に勝てない」と揶揄(やゆ)された。

 巨人にリベンジを果たしたのは59年のこと。パのライバル・西鉄の「水爆打線(流線型打線)」に対抗した「400フィート打線」で巨人に挑んだ。このときの南海の4番が、後の名将・野村克也。2年目のエース・杉浦忠が4連投(うち3試合は先発)4連勝で、チームを初の日本一に導いた。4戦目、杉浦の右手はマメがつぶれ、血だらけになっていたという。

 その後、南海は再び巨人の前に苦渋を味わい続ける。61年は巨人・川上哲治監督に初の日本一を献上。オリンピックイヤーの64年こそ阪神との「御堂筋シリーズ」を制すが、65年、巨人V9のはじまりも相手は南海だった。

 73年、選手兼任監督だった野村が就任4年目にして果たした初のリーグ優勝は、同時に南海最後の日本シリーズ進出となった。シリーズで対するは宿敵・巨人。野村はこう考えた。
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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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