連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

クライミング東京五輪代表の野口啓代、両親の大きな包容力に支えられた競技人生

津金壱郎

極限の重圧のなかで求めた家族とのキズナ

『赤色の勝負リボン』をつけて挑んだ昨年8月のクライミング世界選手権。野口啓代はコンバインド2位となって東京五輪日本代表を勝ち取った 【写真:MIKI SANO】

 母に髪型を整えてもらったのは、いつ以来のことだろう。小学生の頃が最後だったか、中学生の頃だったか。少なくとも競技を生活の中心に置いてからは初めてのこと————。

 その日、野口啓代(TEAM au)は、東京五輪の出場権をかけた大一番を数時間後に控えたなかで、母・信子さんにリボンを結んでもらっていた。

 本来ならば試合前に家族と会う時間も、予定もなかった。だが、これまで味わったことのない重圧のなかで膨らんだ「家族に会いたい」の願いが、予期せぬかたちで実現する。
 決戦前夜に“勝負リボン”を家に置き忘れてきたことが判明し、試合前に届けてもらうことになった。両親は車で片道2時間半ほどの道のりを、万全を期して4時間前に出発して駆けつけた。

 こうして試合当日、野口が会場入りする束の間に親子の交流が実現。手の塞がっていた野口に代わり、信子さんが娘の髪をまとめることになった。

 この光景を見守っていた父・健司さんは、「普段は緊張しないあの子が、緊張で表情をこわばらせていて、かける言葉が見つからなかった」と振り返る。

 信子さんの気持ちも同じだった。大舞台にかける思いの大きさ、費やしてきた努力の日々、のしかかる周囲からのプレッシャー、ミスは許されないという緊張感……。娘の戦っているものの大きさを想像すると、さまざまな言葉が浮かんでは消えた。

 それでもリボンを結び終えた母は、「がんばってね」と言葉をかける。コクリとうなずいた野口は、競技会場へ力強く一歩を踏み出していった。

 2019年8月20日、東京・八王子で開催されたスポーツクライミング世界選手権のコンバインド決勝。想像を絶する重圧と緊張を、極限の集中力へと昇華させた野口は、東京五輪への出場権を手にして、喜びと安堵の涙をこぼした。

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著者プロフィール

東京都出身。雑誌やMOOK、書籍などを担当した出版社勤めを経て、フリーランスのライター・編集者として活動。サッカーや野球、陸上などのスポーツをテーマにしたMOOKや書籍を数多く手掛ける。また、さまざまな識者の連載で企画構成をつとめる。近年はスポーツクライミングの記事を数多くの媒体に記事を寄稿している。

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