クライミング東京五輪代表の野口啓代、両親の大きな包容力に支えられた競技人生
きっかけを与えるのが親の仕事
牛舎を改築して父・健司さんが独力でつくったプライベートウォール。現在の広さは当時の3倍ほど、壁もつくり変えられたが、野口の成長を「一番知っているパートナー」だ 【写真:MIKI SANO】
「妹は中学生になるとテニス部に入ってクライミングから離れていたので、子ども心に『私までクライミングを辞めたら父に申し訳ないな』と思ったのを覚えています。いまは広さが3倍くらいになり、壁の角度も変わったりしましたが、私の成長を一番知っているパートナーみたいな場所ですね」
一方、健司さんは「娘のためにつくった場所ではない」とうそぶく。
「仕事が忙しくて、自分自身がボルダリングをやる時間がなくてさ。場所はあるから作っちゃおうってだけだよ。プライベートウォールができても、中学生のころの啓代はあまり登らなかったしね。『大会で登ったら次にクライミングをするのは次の大会』なんて時期もあったくらいだから」
それでも健司さんが「練習しなさい」と口うるさく言うことはなかった。その理由をこう明かす。
「かっこよく言えば、きっかけを与えるのが親の仕事なんだよね。私たち夫婦なら、子どもたちがクライミングに興味を持ち、ジムに通うところまで。そこから先に『続けるか、辞めるか、努力するか』は、子どもそれぞれが決めればいい。啓代は続けたし、妹は続けなかった。ただ、それだけのことなんだよ」
温かく見守り続けてくれる両親のもとで、「友だちに会える遊び感覚のもの」としてクライミングに取り組んでいた野口に転機が訪れる。それが高校1年の2005年7月にミュンヘンで行われた世界選手権だった。
「『恥ずかしい成績を出したくない』とか『ビリになったらどうしよう』とか、ネガティブな気持ちを払拭するために、世界選手権前は初めてトレーニングと言えるトレーニングをしました。学校から帰ってきたら、食後に、ときには深夜まで、父のつくった壁を登りましたね」
初出場の世界選手権はリードで3位。初めての国際大会で表彰台に立ち、「頑張ったら、頑張ったぶんだけ、報われたときの喜びは大きい」と気づいた野口は、ここから本格的に競技に向き合っていくのであった。
(企画構成:SCエディトリアル)
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野口啓代(のぐち・あきよ)
【写真:MIKI SANO】