遠藤保仁の“受け手”を楽しむ倉田秋 脳裏に焼き付く「っぽくない」プレー
第3回
セレッソ大阪との“大阪ダービー”でJ1最多となる632試合目の出場を果たした遠藤保仁のプロデビューは“横浜ダービー”だった。
1998年3月21日、横浜国際総合競技場(現在は日産スタジアム)のこけら落としのゲームには5万2000人の観客が詰めかけた。バルセロナのOBで、トップチームのコーチを務めた横浜フリューゲルスのカルロス・レシャック監督は鹿児島実業を卒業したばかりの18歳を先発で起用した。
細かく指示があるかと思いきや「好きなようにやっていい」。
遠藤はこう振り返ったことがある。
「プレッシャーみたいなものも感じなかったですね。楽しんでプレーできていたとは思います」
大観衆を前にして気後れもなく、堂々と、それもフル出場で。
あれから22年経っても、無観客のリモートマッチであっても「楽しんでプレー」が揺らぐことはない。
倉田秋「こうしようと話すことはなくて」
遠藤と10年以上一緒にプレーする倉田はこう明かす。
「試合前に“こうしよう”とお互いに話をするというのはいつもなくて、試合をやっていくうちに“じゃあこうしようか”となっていくんです。あの試合はなかなかボールが回らなかったんで、もうちょい距離を近くしたい、と。2人の距離もそうですけど、周りとの距離を含めて。近くでもっとポンポンつないでもいいんじゃないかなという話でしたね」
その前から中盤でのパス交換からチャンスになりそうな予感はあった。ハーフウェーライン付近でパスしながら倉田が前に持ち出し、下げたところで遠藤がワンタッチでアデミウソンに送ったところからチャンスを捻出している。
このイメージをもう少し膨らませていこうとするように。
いい距離から、いい攻撃を。
前半29分には、右サイドに出た菅沼駿哉からの横パスが流れながらも倉田が何とか中央へ送り、近くにいた遠藤が拾って裏を狙うアデミウソンに浮き球のパスを送る。その2分後には右サイドに遠藤が寄って4人でボックスをつくり、遠藤が斜め前にパスを出して倉田がスルー。受け手となった小野瀬康介との連係は合わなかったが、ロング一辺倒の攻撃から引き戻して落ち着かせ、リズムをつかみつつあった。
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