ファジアーノの未来はCRM事業にあり!? Jリーグ新時代 令和の社長像 岡山編

宇都宮徹壱

ゴールドマン・サックスの執行役員を岡山に呼んだ男

地域リーグに所属していた06年のファジアーノ岡山。この直後に木村社長が就任 【宇都宮徹壱】

 私が初めてファジアーノ岡山を取材したのは、木村正明が社長に就任する直前の2006年1月のこと。チーム運営はNPO法人に委ねられており、スポンサーはわずか6社で収入は約200万円だった。ところが06年にクラブを株式会社化して、その社長に木村が就任すると、スポンサーは180社を超えて年間収入も約9000万円にまでアップ。この異能の経営者を岡山に引っ張ってきたのは、小中学校時代の旧友であり、現在はクラブの代表取締役にも名を連ねる、岡山学芸館高校副理事長の森健太郎であった。

「あれは05年でしたね。ユースの国際大会を岡山で開催するために、あちこちから資金を集めていたんです。それでポンとお金を出してくれそうだと思って(笑)、木村にも声をかけたんですね。実はその年いっぱいでゴールドマンを辞めるという話も、何となく耳にしていました。彼は執行役員でしたが、30代半ばですでに最古参だったんですね。『いかに若くしてリタイアして、セカンドライフで社会貢献をするか』というのがゴールドマンの社員の考え方らしく、『自分もそろそろ』と思っていたようです」

 その後のカリスマ社長による岡山の成長の物語は、すでに語り尽くされた感もあり、また本稿の主題でもないのであえて触れない。ここで注目したいのが、木村と森との信頼関係。生まれ故郷のクラブに引き合わせてくれた旧友に対し、木村は最も早いタイミングで岡山を離れる可能性があることを打ち明けていた。再び、森の証言。

「実は(退任する)半年前から、役員会の時に『こいつ、いなくなるかも』という予感があったんです。ですから(18年)1月に相談を受けた時も、そんなには驚かなかったですね。法人営業のノウハウも社内の仕組みも、ベースとなる部分は木村が残してくれていました。もし彼がいなくなっても、若手がしっかりやってくれるから大丈夫だろうと。ですから『いずれ岡山に戻ってくるのであれば、Jリーグでしっかり働いて、そこで得た経験をフィードバックしてほしい』ということだけ伝えました」

 では、木村の後継者を誰にするのか。実は外部から、社長を招く案もあったらしい。しかし早々にその芽がなくなり、クラブ内から昇格させることになった。前任の池上に代わって、15年からGMに就任した「徳さん」こと鈴木徳彦は、代表取締役になることは受け入れたものの「社長をやるつもりはありません」ときっぱり固辞。役員会で議論を重ねた結果、鈴木よりも社歴が長く、法人営業で財界ともパイプがある北川に白羽の矢が立つこととなった。まさに「おまえに断る権利はない」(木村)状況だったのである。

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黎明期のFC東京にも通じる経営と現場のツートップ体制

15年にGMに就任した鈴木徳彦氏。現場責任者として北川社長とともにクラブを支える 【宇都宮徹壱】

 かくして後継者は決まったものの、実質的には社長の北川とGMの鈴木によるツートップ体制で、ファジアーノ岡山はリスタートすることとなった。サッカー経験がまったくない北川と、東京ガスを皮切りに現場一筋だった鈴木。キャリアも正反対ならば、年齢も鈴木が20歳も上。それでも今のところ、この凸凹ツートップはうまく機能しているように見える。この状況について「意外と初めてではないんですよ」と語るのは鈴木である。

「実は、東京ガスからFC東京に変わる時に似ていたんですね。あの時、フットボールに関することは僕が、会社経営については専務の村林さん(裕=のちの社長)が担っていました。だからといって、まったく交流がないわけではない。むしろ経営と現場は、垣根のない隣近所という感じで、お互いの顔が見える距離感を保っていましたね」

 実は岡山でも、社長が木村でGMが池上だった時代から、経営と現場は独立性を保ちながら運営されていた。木村が現場に口出しすることはなかったし、その逆もなかった。そして、それぞれのトップが変わって以降も、このスタイルは不変である。北川の証言。

「ウチがスタートした時からの伝統ですね。木村さんがそうだったように、僕も現場には100%口出しをしないし、徳さんもこちらに口出しをしません。予算だけ決めて、あとは話し合いで調整していくスタイルです。それができるのは、徳さんがフロントの状況を理解しているからだと思います。だから、現場のエゴを押し通そうとはしない。サッカー界では、なかなか得難い人材だと思いますよ」

 ちなみに岡山では、クラブ社長が集まるJリーグ実行委員会には、いつも北川ではなく鈴木を送り出している。この理由について北川は「社長に就任した当初、代表権がなかったので行けなかったんです」とした上で、こう続ける。

「今は代表権を持っていますが、それでも徳さんに行ってもらったほうが、情報を取ってこれますからね。何しろ、あれだけサッカー界に精通した人ですから。僕自身は実行委員ではないけれど、アウェーには全部行っていますし、そこで他の社長さんともコミュニケーションは取れています。ですので、この役割分担は今後も変えるつもりはありません」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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