胸にしみた石井一久の「らしい」追悼 気になる今週の球界のハナシ
石井GMの追悼コメントに思う関係性
ガチギレする監督をみながら冷静すぎる感想を抱く若き日の石井一久氏 【カネシゲタカシ】
ノムさんの自宅を弔問した石井GMから報道陣に披露されたのは、自身が投手としてヤクルト・野村監督のもとでプレーした若き日のエピソードでした。ふがいないピッチングをした試合後に監督室に呼び出され、「俺をなめてんのか!」とイスを蹴り上げ、叱られたそうです。
「あの時だけは動きも速くて、見たことない形相で聞いたこともない言葉遣いだった」
「ああ、こういう動きもできるんだと思った。温厚なのに野球には熱い方だった」
「あのイスの飛距離とともに一生忘れません」(すべて「スポーツ報知」2月11日付より)
「ああ、こういう動きもできるんだ」って、怒られてんのに超冷静。事態を俯瞰的にみる能力はGMの素質ありです。あと野球への情熱を「イスの飛距離」で表現されても……。
しかし、ノムさんを「父親みたいな存在だった」と語った石井さん。その冗談めかした追悼コメントから、二人の関係がより近く、より良いものだったことが想像できます。かえって胸にしみました。
ノムさん・仙さんフィーバー そんな二人が鬼籍に
僕の手元には99年開幕前に「月刊タイガース」の宣伝用に配られたノムさんのポストカードがあります。真新しいタテジマのユニフォームに身を包み「いくぞ」とばかり正面を指差す野村新監督。「あの名将が弱小タイガースに!?」という当時の関西の熱狂に応える堂々たる姿です。
99年、野村新監督の勇姿。ちなみにまだ阪神で1試合たりとも指揮をとっていません 【カネシゲタカシ】
その後、阪神ファンの心の傷はさっそうと現れた星野仙一監督がガッチリ埋めきるわけですが、2003年のリーグ優勝も、ノムさんが築いた土台があってこそ成し遂げられたわけです。
そういえば星野さんも蹴ってたな、藤本敦士の座ってるベンチのイス。あのとき藤本が浮き上がった数センチは、ノムさんが蹴飛ばしたイスの飛距離に換算して何メートルなんでしょうね。そんな健脚だったお二人も、いまはそろって鬼籍に。信じたくない事実です。