球界から来た新社長を現場はどう見たか? Jリーグ新時代 令和の社長像 山形編
なぜ相田社長は「山形の坂本龍馬」なのか?
クラブハウスで取材を受けてくれたモンテディオ山形の相田社長 【宇都宮徹壱】
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新しいクラブハウスの建設予定地。練習グラウンド(奥)のすぐ横に来年5月に完成する予定だ 【宇都宮徹壱】
クリエイト礼文の渡辺晃CEOは、相田社長を「山形の坂本龍馬になり得る人物」と力説してくれた 【宇都宮徹壱】
当の相田が、今回のプロジェクトにゴーサインを出したのは、スタッフの具申がきっかけであった。「クラブハウスの改善が急務です」ということで、実際に見てみると「これは変えなくてはいけない」と新社長も痛感する。「選手が日常を過ごす場所がしっかりしていないとダメだと思ったんです。今のクラブハウスのままでは、新しい選手を獲得するのも、出ていこうとする選手を慰留するのも難しい」──。それが相田の考えであった。
最初の変化は運営会社の株式会社化
15年間、山形の現場一筋で働いてきた佐々木マネージャーも、相田社長就任後の変化を感じているという 【宇都宮徹壱】
「確かに木山監督の戦術が、チームに浸透してきたとわれわれも感じています。でも、現場の人間としては、相田社長の就任も大きなきっかけになったと思います。今季開幕戦は岐阜で前泊となりましたが、その時に帯同されていた社長が、試合当日のミーティングで『皆さんはサッカーに集中してください。お金の心配はしないで下さい』とおっしゃったんです。それを聞いて『選手・監督のことを一番に考えている方なんだな』と思いましたね」
そう語るのは、主務の佐々木雅博である。地元の高校を卒業して、99年に山形に練習生として加入。その後、スペイン、JFLでのプレーを経て04年で現役を終えると、翌05年から山形のスタッフに迎えられた。最初の10年はサブマネージャー、そして15年から現職。この15年間、山形の現場一筋で働いてきた。そんな佐々木にとって、第1の変革期となったのが運営会社の株式会社化。13年にアビームが経営に参画することで、それまで半官半民の組織だった山形は、真のプロクラブへの道を歩み始めることとなる。
「山形県スポーツ振興21世紀協会からトップチームが分割されて、やまがたスポーツパークとの合併で設立されたのが株式会社モンテディオ山形。つまり、現在のトップチームの運営会社です。会社設立と同時に、やまがたスポーツパークの事業を受け継ぐ形で、総合運動公園の指定管理者にもなりました。それまで練習グラウンドの確保に苦労していましたが、スムーズに調整できるようになりました。現場の雰囲気も『それは難しい』から『やってみようか』に変わっていきました」