連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
バレー長内美和子が語る躍進の土台 二度の試練に見舞われた高校時代
二度目の試練は春高直前
二度の試練に見舞われながらも、長内は「自分の選択は間違っていなかった」と自信を持って話す 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
合宿時の練習試合で、ブロックから着地した際、左足首を捻挫。歩くのもままならないほど痛かったが、最後の春高に出ない選択肢はない、とばかりに出場を直訴したが、当然通るわけがない。攻撃の大半を担う長内の欠場を余儀なくされ、苦戦を強いられる中、「1日でも先に勝ち進めば(長内が)出られるかもしれない」とチームメートが奮起した。
準決勝へと勝ち上がり、決勝進出をかけて対峙(たいじ)したのは都内のライバルの一つ、下北沢成徳高。まだ足に痛みはあったが、「ここまでみんなが勝ち上がってくれたおかげでセンターコートに立てたことが、何よりうれしかった」という長内は、途中出場でコートに立った。
結果は長内いわく「3年生になってから一度も負けたことがなかった」相手に敗れ、決勝進出は果たせず終わったが、文京学院大学女子中学・高校で学んだこと、最後に敗れた悔しさもすべて、今の自分に生かされている。長内は迷わずそう繰り返す。
「高校に入学した頃は周りよりも身長が高かったので、ミドルブロッカーとしてもプレーしました。その経験をしたことでブロックや、移動攻撃にも自信が持てるようになったし、エースとして決めなければいけない、という覚悟も生まれた。普段は自分であれこれ決めて動くタイプではないけれど、文京に行こうと決めたことは、自分の選択で間違っていなかったと自信を持って言えます」
世界を経験して「五輪に出たい」と強く願う
「U-23(全日本)に選んでもらって、世界と戦う機会を与えていただいたことで『私もいつか日本代表に入りたい』と思ってはいました。でも、それが今だとは全く思わなかった。(代表監督の中田)久美さんが私のことを見ていてくれた、というだけで、正直、自分が一番びっくりしました(笑)」
2017年7月のアジアU-23選手権で優勝に貢献し、チャンスをつかんだ。今年9月に行われたワールドカップのメンバーにも選ばれ、スタメン出場したカメルーン戦、アルゼンチン戦では攻撃面で存在感を発揮した。サーブレシーブからの攻撃参加も積極的で、常に相手のブロックよりも攻撃枚数を上回りたい日本にとって、長内の活躍は克服すべき課題解決の兆しとも言うべき明るい材料だった。
そうなれば当然、さらに上、もっともっと、と良い意味で欲も出る。
「合流したばかりの頃は、自分がどこで落とされるのか分からなかったし、終わりが見えない中でただ頑張ることがつらかったし、モチベーションを保つのが難しかったんです。でも、初めて世界を経験して、世界を知れば知るほど、“オリンピックに出たい”と強く思うようになった。今までは『自分にチャンスなんてない』と思っていたけれど、つかもうとすればつかめるチャンスがあるわけだから、そこに挑戦しないのは嫌。でも焦らずに、自分のペースで、東京オリンピックにつなげていきたいです」
子どもの頃から、元旦は家族で柴又帝釈天へ初詣に行くのが恒例。地元・東京からオリンピックへ、長内はチャンスを逃さない 【田中夕子】
「よく考えたら東京オリンピックって、私にとってはめちゃくちゃ地元。頑張れ、と応援してくれる家族や、地元の人たちのためにも、東京オリンピック、出たいです!」
チャンスはつかむためにある。地元の五輪。“東京代表”としても、このチャンスを逃すわけにはいかない。