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礒貝洋光「マンガみたい」な人生を往く
天才はプロゴルファーを経て“自由人”に

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負けて当然「ピッチに立つの恥ずかしい」

鋭い眼光は現役時代と変わらない。体重は一時期130キロ近くまで増えたが、いまは90キロ程度を維持している
鋭い眼光は現役時代と変わらない。体重は一時期130キロ近くまで増えたが、いまは90キロ程度を維持している【栗原正夫】

 1992年、大学を中退してプロ入りする際、「感覚的には全10チーム中12チームからオファーがあった(笑)」と話す礒貝洋光は、それまで縁もゆかりもなかった関西のガンバ大阪に入団した。


「京都の舞妓さんと遊びたかったし、釜本(邦茂)さん(当時監督)に誘われたらウンって言うしかないでしょ(笑)」

 ただ、Jリーグ創設期のG大阪は低迷が続き、礒貝の気持ちは徐々にサッカーから離れていった。小・中・高・大と、常に強豪校でプレーしてきた礒貝にとって「負けが当たり前」になった環境は許せなかったのだ。


「練習で空振りして笑っているヤツもいて、その瞬間に心は凍った。もし兵士なら、戦場で銃を誤発射したのに大丈夫って言っているようなものでしょ(笑)。学生時代は年間の負け試合は数えるほどだったのに、1年で10試合以上も負けて、正直ピッチに立ってるのも恥ずかしかった」


 当時のJリーグは水曜日と土曜日に試合が続く超過密日程。さらに、試合前後にチームで宿泊する習慣もあったため、怒涛(どとう)のように毎日が過ぎていった。そんななか批判されても仕方のない振る舞いを取ったこともあったという。

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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