連載:0.0%に挑んだ八村塁とそれを支えた人たち

八村塁というバトンをその先へ 明成高、ゴンザガ大…裏で支えた人たち

丹羽政善

勘違いするうちにNBAへの道が開ける

0.0%の壁を突破した八村塁。彼を裏で支えた人たちに話を聞き、ここまでの道をたどる 【Getty Images】

 今年3月に引退したイチロー(現マリナーズ会長付特別補佐)は小学生の頃、毎日練習をしていると、「近所の人から『あいつ、プロ野球選手にでもなるつもりか?』って笑われていた」そうだ。

「悔しい思いをしましたよ」

 ただ、イチローは自分を信じ、嘲笑(ちょうしょう)を原動力に変えた。

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 いよいよデビューが迫る八村塁(ウィザーズ)も、中学でバスケットボールを始めると、いつかはNBAに――と、漠然と将来を思い描いた。ところが、現実感がなさすぎて、周りは笑うどころか、反応に戸惑った。あまりにも別世界の話だったのである。

 その距離感。今振り返って、八村自身も苦笑する。

「僕もそのとき子どもで、バカだった」

 NBAがいかに遠いところにあるのか。少年野球を始めたばかりの子どもが、「将来はプロ野球選手になる!」と無邪気に夢を語るのと変わらなかったが、それを知る物差しがなかったことはむしろ、プラスに働いたか。NBAの舞台でプレーすることを、八村は疑うすべを知らなかったのである。

「信じてましたね」

 不思議なことに、勘違いするうちに徐々にその道が開けていった。

 中学1年でバスケを始めた当初はもちろん、素人。同級生は小学校の時からミニバスケをしている子たちばかりで、当然、彼らよりも劣った。ところが、まるでスポンジが水を吸収するが如く、八村は日々、バスケのスキルを身につけていく。朝早く体育館へ行ってフリースローの練習を重ねた。部活が休みの日は、友達と近くの体育館に通った。

 すると、徐々に頭角を現す。2年の秋(2011年9月)には、「U-14男子トップエンデバー」に名を連ね、全国から選抜された30人のうちの1人として、多くの五輪選手らが利用するナショナルトレーニングセンターで行われた3日間の合宿に参加するまでに。迎えた中学3年の夏。奥田中を初の全国中学校バスケットボール大会出場に導き、準優勝の原動力になった。

 卒業後は、バスケの名門・明成高校に進学し、早くから米大学留学を意識する。その先にNBAにつながる扉があると信じてのことである。とはいえ、その道がいかにハードルの高いものか、そのときの八村はまだ、知らない。

八村は0.0%の確立を覆したことに

 19年4月3日にNCAA(全米体育協会)が公表したデータがある。

 例えば、17−18年、アメリカの高校でバスケをしていた最上級生の数は55万1373人。卒業後、進学した大学でバスケを続けている生徒の数は1万8816人。わずか3.4%だ。ここで一気にふるいにかけられるわけだが、多くのバスケ名門校が所属し、NBAでドラフトされるとしたら、最初の関門とも言えるディビジョンIのバスケ部に入部できるアスリートの割合となると、全体の1.0%だという。

 かといってまだ、そこはピラミッドの頂点ではない。ディビジョンIのバスケ部に入ったからといって、NBAへの道が、例えば1200人以上が指名される大リーグのように、大きく開けるわけでもない。その先はさらに狭き門。同じNCAAのデータによれば、18年のNBAドラフトで対象となったカレッジアスリートの数は4181人。指名されたのは52人なので、その割合はわずか1.2%ということになる。アメリカでもエリートの中のエリートアスリートだけが生き残る――そういう世界なのだ。

 日本人選手の場合はどうかと言えば、松井啓十郎(京都ハンナリーズ)ら高校から留学し、ディビジョンIの大学でプレーしたケースはあり、渡辺雄太(グリズリーズ)もプレップスクールを挟んでジョージタウン大へ進んだが、ゴンザガ大のようなバスケの名門校にクッションを挟まず進学した例はなく、先程のデータにならうなら、その確率は0.0%。さらに、日本人がNBAのドラフトで1巡目に指名された例はなかったのだから、その点でも八村は0.0%の確率を覆したことになる。裏を返せば、いかに八村が別格か、ということが知れよう。

 とはいえ、もちろん八村がそれをひとりで成し遂げたわけではない。原石はそれ自体で光を放つわけではなく、カットや磨き方次第で、いくらでも姿を変えるのだ。

 八村は、その点で恵まれた。明成高へ入学すると、佐藤久夫コーチが八村のバスケ選手としてのポテンシャルを引き出した。高橋陽介は、同校のアスレティックトレーナーとして関わりながら、自身の米大学留学経験を生かし、八村の米国留学をサポートした。

 ゴンザガ大バスケ部のトミー・ロイドは、アシスタントコーチとして八村をスカウト。日本の留学生を受け入れるのは初めてだったが、バスケだけでなく、学業面でも八村がなじめるよう、将来図を描いた。

 そして、彼ら以外にももちろん、多くの人が携わりながら、八村というバトンをその先へつないでいったのである。今回、そんな八村を裏で支えた人たちにも話を聞いた。八村の夢であり、彼らの夢でもあった八村のNBAデビューを前に、ここまでの道のりをたどる。
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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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