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川内優輝物語 -ゴールなきマラソンマン-
川内優輝物語 -ゴールなきマラソンマン-
第2話 強豪校への反骨心と“無形の襷”

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今季、「市民ランナー」から「プロ」へと転向をした川内優輝。マラソンの原点から世界陸上、そしてその先へと続く彼の人生に迫ったノンフィクションストーリー。イラストは川内のバイブルともいえる漫画『マラソンマン』の井上正治が描き下ろし。

箱根駅伝で得た気づき

 とにかく襷だけ、つなげばいい。そうすれば、誰も文句は言わないだろう――。


 2007年、1月3日。第83回箱根駅伝の復路のスタートを待つ間、川内優輝は心の中でそう呟いていた。

【(C)井上正治】

 高校時代から得意にしていた「下り」の6区は、法政大、神奈川大、国士館大、國學院大と並びながらの一斉スタート。川内は前年に同区間で区間賞を獲得していた法政大の松垣省吾(4年)をマークしながら走ると、次第に残りの選手が脱落していき、最後は松垣との一騎打ち。途中ハムストリングをつりそうになったが、宮ノ下付近で松垣を振り切ると区間6位で次走者の小沢計義(関東学院大、4年)に襷をつないだ。


 大学2年の冬に迎えた、初めての箱根。大会前にあった緊張感がいくらか和らいでいたのは関東学連選抜(※1)が前日の往路(5区)を最下位で終えていたからだ。失うモノなどなかったのだろう。


 印象に残ったのは、応援団、吹奏楽部、チアリーディング部の学生など学習院大の関係者が多く応援に駆けつけてくれたことだった。学習院大から箱根を走る選手が出たのは川内が初めてで、当時学内ではちょっとした話題になっていたのだ。

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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