連載:経験者たちが語る、U-18野球W杯の激闘

「魔球」で世界の打者を翻弄した田浦文丸 人生をかけて挑んだ侍ジャパンでの戦い

加来慶祐
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田浦は2017年のU-18ワールドカップで快投を見せ、人生を変えた 【Getty Images】

 第3位となった2017年の「WBSC U-18ベースボールワールドカップ」(カナダ・サンダーベイ)で、田浦文丸(秀岳館−福岡ソフトバンク)は日本人選手で唯一、世界のオールスターチーム(大会ベストナイン)に中継ぎ投手部門で選出された。大会では6試合に登板し、13回3分の2を投げて29奪三振。相手チームから「まさに魔球だ」「素晴らしい完成度。あれは打てない」と大絶賛を受けたチェンジアップで三振の山を築き、リリーフ5試合では堂々の無失点。そんな奮投ぶりに「日本のMVPは田浦」という声も少なくはなかった。

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プロに行くために「絶対に結果を残す」

 田浦は、並々ならぬ決意でこの大会に臨んでいた。

「自分としては、どうしてもプロに行きたくて。甲子園でまったくダメだったので、その中でU-18というチャンスをいただけた。そこで結果を残そうということしか考えていませんでした」

 秀岳館では2年春から4季連続で甲子園に出場し、2年春から3年春にかけては3季連続で4強入りした実績を持つ。最上級生となってからは、いずれも140キロ台後半の直球を誇る川端健斗(現・立教大)と左のダブルエースに君臨した。3年夏は熊本大会の初戦以降すべてリリーフに回り、5試合無失点と文句のつけようのない投球を披露。しかし、甲子園では足をつるなどアクシデントに見舞われ、2試合で5回3分の1、6失点。更新を狙った最速も140キロにとどまった。

「夏が始まる前から“ジャパンに選ばれたい”とは思っていました。一次候補からは外れていましたが、チャンスはまだあるだろうと。何より川端が一次に選ばれていたので。悔しかったし『自分も!』という気持ちは常にありました」

 甲子園の1回戦で横浜に勝利した後「もしかしたら選ばれるかもしれない」と、当時の鍛治舍巧監督(現・県立岐阜商監督)に告げられた。その時の田浦は目の前の甲子園大会に集中しきっており、実感はまったく湧かなかったという。広陵の中村奨成(現・広島)に一発を喫し、2回戦で敗れた数日後「代表入り」の吉報が田浦の元へ届いた。「甲子園から帰ってきても、地元の福岡に帰省してゆっくりできたのは2、3日ぐらい」と田浦。すぐに学校に呼び戻され、必要書類を整える作業などで、あっという間にチーム合流の日がやってきた。
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著者プロフィール

1976年大分県竹田市生まれ。東京での出版社勤務で雑誌編集などを経験した後、フリーランスライターとして独立。2006年から故郷の大分県竹田市に在住し、九州・沖縄を主なフィールドに取材・執筆を続けているスポーツライター。高校野球やドラフト関連を中心とするアマチュア野球、プロ野球を主分野としており、甲子園大会やWBC日本代表や各年代の侍ジャパン、国体、インターハイなどの取材経験がある。2016年に自著「先駆ける者〜九州・沖縄の高校野球 次代を担う8人の指導者〜」(日刊スポーツ出版社)を出版した。

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