連載:【野球小説】栄冠は監督にも輝いてほしい

【野球小説】栄冠は監督にも輝いてほしい 第1回 22歳の新監督

谷上史朗
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 かつて強豪だった名門野球部の復活を託された佐伯大輔、22歳。しかし、新米監督を待っていたのは、野球の指導はもちろんのこと、激務と様々な人間の思惑に翻弄(ほんろう)される「グラウンド以外の仕事」だった……。高校野球のリアルな現場を描く連載小説。栄冠は監督にも輝くのか!?

写真はイメージです。本文とは関係ありません 【写真:アフロ】

「今日から野球部の監督もお願いします」

 丁寧な言葉遣いながら、理事長・南田泰からの一言にはノルマでも伝えるようなシビアな空気が含まれていた。途端に頭が混乱した。

<監督? いきなり? どういうこと……?>

 佐伯大輔は東京の都立高校から岐阜県の大学へ進み、教員免許を取得。卒業と同時に正規採用となり、大阪にある私立大阪天栄高校に社会科教諭として採用されたばかりの22歳。高校球児だった頃から将来は指導者になる、とこの道を目指してきた。

 赴任が決まると、学校へ提出の書類にも指導希望の部活にもちろん“野球部”と明記。ただ、高校野球の指導者になって子供たちに何を伝えたいか、何を成し遂げたいか、といった明確なプランを持っているわけではない。子供の頃から野球少年の一方で、甲子園のテレビ中継などは録画もしながら熱心に鑑賞。ネットや雑誌などでも様々な情報に触れて楽しむ野球オタクの一面も持っていた。その中で、熱血、頭脳派、名将、知将……と個性豊かな監督たちの姿に強く憧れるようになり、高校に入った頃には漠然と指導者の道を夢見るようになっていた。

<俺もいつか大好きな野球を教えながら子供たちに一目置かれ、メディアにも注目される指導者になりたい>

 これが入口で、スタートラインに立ったというわけだ。赴任先となった大阪天栄は昭和30年代から50年代前半までの間に春夏の甲子園に16度出場。ただ、昭和後期からは経営方針を進学優先に切り替え、野球部は徐々に力を失い、今では大阪の中堅クラスという位置づけになっていた。しかし、その環境について佐伯は、余計なプレッシャーもなく、指導するにはちょうどいいかも、くらいに考えていた。だから、赴任早々野球部に関わることになったところまでは予定通り。だが、まさかいきなり監督を任されるとはまったく……ということだった。
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著者プロフィール

1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)「web Sportiva」(集英社)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『崖っぷちからの甲子園—大阪偕成高の熱血ボスと個性派球児の格闘の日々』(ベースボールマガジン社)『一徹 智辯和歌山 高嶋仁 甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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