連載:村田諒太、王座奪還の可能性

一度敗れた相手とのリマッチ だからこそ戦友が期待する“村田の才能”

善理俊哉
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ロンドン五輪で村田が警戒していたのは?

ロンドン五輪での歴史的快挙。その裏には、ブラントにも通じる“苦手意識”があった 【写真は共同】

 2019年7月12日、ロブ・ブラント(アメリカ)との再戦に臨む村田諒太。18年10月に奪われたタイトルを取り戻し、さらなる“ビッグマッチ”実現を目指して――まさに“背水の陣”で挑む一戦である。

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 ブラントとの初戦は、村田の持ち味であるプレスが機能せず、ブラントのフットワークを前に空転してワンサイドの判定を失った。この試合、実は12年ロンドン五輪前に村田が語っていた“苦手意識”が、6年の時を超え、明確に示された結果のように思える。

2011年世界戦選手権で村田諒太(左端)は日本史上最高の銀メダルを獲得。だが決勝のヒトロフ戦を僅差で落として笑顔はなかった 【写真提供:国際ボクシング協会】

 村田は日本人初の世界選手権準優勝でロンドン五輪への出場を決めた後、同じミドル級の出場選手たちを徹底分析し、金メダル獲得への難敵を2選手に絞っていた。

 一人は前年の世界選手権決勝で村田と戦い、村田にポイント勝ちを収めたイエフゲン・ヒトロフ(ウクライナ)。そのスコアは22対24と僅差だったが、第2ラウンドには村田をフラつかせてダウンカウントを奪っており、中でもボディブローは、村田が「内臓が破裂したかと思うほど、奥までめり込んできた」と振り返るほど力強かったという。ボディブローの脅威がある限り、村田は顔にブロッキングを固めた前進スタイルを貫くことに、ためらいを覚えざるを得なかった。
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著者プロフィール

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある

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