連載:左サイドスローの美学

“松井キラー”元阪神・遠山の誕生秘話 全ては野村監督へのハッタリから始まった

前田恵
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松井キラー、「遠山・葛西スペシャル」などで中継ぎエースとして活躍した元阪神・遠山氏 【写真は共同】

 通算17年間の現役生活で、セ・パ両リーグを渡り歩き、先発、リリーフ、野手と3つのポジションを経験した遠山昭治(現役時代の登録名は「奬志」など)。極め付きは阪神時代、1イニングの中で右下手投げの葛西稔と相手バッターの左右に合わせ、マウンドとファーストを行き来した「遠山・葛西スペシャル」。これほどバラエティーに富んだプロ野球人生を送り、ファンの記憶に残る選手も、なかなかいないだろう。

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八木沢コーチとの不思議な縁

遠山氏は、データと観察力に基づいた投球で左打者を翻弄した 【スリーライト】

「お前、左バッターのインコースにシュートを投げられるか?」

 1999年、野村克也氏が阪神の新監督に就任したときだ。遠山の左サイドスローを目に留めた野村監督は、そう声を掛けた。

「半ばハッタリで、“投げられます”と答えました。サイドから投げると、そこは自然とシュート回転になる。あのころ左のサイドは清川栄治さん(98年に引退)くらいしかいなかったから、そこで使ってもらって結果が出れば、一軍の投手陣に食い込むこともできるんじゃないかなと」

 野村の監督就任に伴い、阪神にやってきた新投手コーチが八木沢荘六だったことも、不思議な縁である。遠山は85年ドラフト1位で阪神に入団。高卒ルーキーながら主に先発として投げ、プロ1年目は8勝を挙げた。しかしオフに肘と肩を痛め、91年にロッテオリオンズへ移籍。翌92年、新生・千葉ロッテマリーンズの監督に就いたのが八木沢だった。
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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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