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なでしこフィーバーとは何だったのか
選手、関係者の証言で振り返る
PK戦の末にアメリカを下し、W杯初優勝を果たしたなでしこジャパン。ショートパスをつなぐアタッキングサッカーは、世界中に衝撃を与えた
PK戦の末にアメリカを下し、W杯初優勝を果たしたなでしこジャパン。ショートパスをつなぐアタッキングサッカーは、世界中に衝撃を与えた【Getty Images】

 世界中から称賛を集めた2011年女子ワールドカップ(W杯)のなでしこジャパン初制覇。ドイツから帰国した彼女たちを待ち受けていたのは、空前のなでしこフィーバーだった。社会現象とも言える狂騒曲に振り回されながら、結果を出し続ける“なでしこ”たち。しかし、ブーム終焉のときは、刻一刻と近づいていた――。なでしこフィーバーとはいったい何だったのか。選手、クラブ関係者、メデイア、三者の証言をもとに振り返る。

海外から芸能人がやって来たかのように…

 それまでは静かだった日々野真理の携帯電話が、ひっきりなしに着信を伝えるようになった。11年7月9日、女子W杯・ドイツ大会の準々決勝で優勝候補のドイツを破った直後のことである。電話だけではない。パソコンを開くと、面識のない人からのメールが何通も届いていた。


「ドイツ戦までテレビ中継の仕事を粛々とやっていたんですけど、どこで番号を知ったんだろうっていうくらい、テレビや雑誌の知らない方々から次々と連絡が来たんです。『女子W杯を現地で取材されているんですよね?』って」


 日々野はピッチリポーターを本業とする傍ら、自ら原稿も執筆するフリーアナウンサーである。女子サッカーについては03年、アテネ五輪アジア予選の頃から継続して取材している。


 それまでは、せっかく取材したのに、そのすべてを出す場所がない、という状況だった。しかし、この後しばらく、原稿依頼が多すぎてインプットが追いつかない、という状況へと激変する。


「準決勝でスウェーデンに勝って、いざ決勝となると、各局のテレビクルーが大挙してやって来たんです。取材申請はすでに終わっているから、来たところで試合取材はできないけれど、練習場ではできるように配慮がなされた。それで、メディアの数が一気に増えたんです。これは大変なことになったなって」


 スポットライトを浴びた側のひとり、なでしこジャパンのセンターバック、岩清水梓が環境の変化に衝撃を受けるのは、帰国してからだった。


「ドイツにいる間から、こっちは大フィーバーだよ、っていう連絡をもらっていたんですけど、実際にその状況を見たわけではないので、よく分からなかったんです。それで日本に帰ってきて、空港での出迎えを見て、驚きました。

 まるで海外から芸能人がやって来たときのように、大勢のカメラマンに囲まれて。通路の脇にはファンの方々がズラーッと並んでいた。それを見て、本当にスゴいことをしたんだな、って実感が湧いたんです」


 その日は深夜まで取材やテレビ出演に応じ、そのまま空港のホテルに泊まった。ようやく帰宅できたのは翌朝、情報番組に出演したあとだった。そしてまた、翌日から取材攻勢が始まった。


「雑誌とか、テレビとか。そのうち自分がなんの取材を受けているのか分からなくなってきて。誰に向かってしゃべっているんだろうって」

熱狂の中でベレーザはなぜ冷静だったのか

7月19日、W杯優勝を果たしたなでしこジャパンの選手たちが凱旋帰国し、成田空港は約400人のファンと約250人の報道陣でごった返した
7月19日、W杯優勝を果たしたなでしこジャパンの選手たちが凱旋帰国し、成田空港は約400人のファンと約250人の報道陣でごった返した【写真は共同】

 なでしこフィーバーは収まる気配がなかったが、選手たちはいつまでも世界一の余韻に浸るわけにはいかなかった。12年ロンドン五輪のアジア最終予選が9月に迫っていたからだ。


「W杯で優勝したのに、アジア予選で敗退なんて、天国から地獄。絶対に負けるわけにはいかないよね、っていう話をみんなとしていました。とにかく集中しようって。恐怖感がありましたね」


 幸運だったのは、予選が中国で開催されたことだ。もし、日本で開催されていたら……。大混乱を招いていたに違いない。


 それでも、過去のアジア予選とは比べものにならない数のメディアが中国まで駆けつけた。だが、なんとか集中を保った彼女たちは、五輪の出場権を手に入れる。


 ミッションを成し遂げ、帰国したなでしこジャパンの面々を待ち受けていたのは、やはり、取材攻勢だった。あらためてW杯を振り返り、翌年のロンドン五輪でのメダル獲得に向けた意気込みを求められる――。


 五輪予選を経て、なでしこフィーバーはいっそう加熱し、選手たちのスポーツ番組やバラエティ番組への出演が続いた。


 もっとも、岩清水は他のメンバーと比べ、早い段階でプレーに集中する環境を得た。日テレ・ベレーザで広報を務めていた竹中百合が説明する。


「当時、うちには岩清水と岩渕(真奈)がいたんですけど、どうしても彼女たちでなければならない取材以外は、すべて断っていたんです。なでしこなら誰でもいい、というようなオファーも、けっこうありましたから。この状況に浮かれちゃいけない。自分たちの足下を見つめて、とにかくサッカーに全力を注ごうって」


 竹中をはじめとするベレーザのスタッフが、なでしこフィーバーの中で冷静でいられたのは、12年前の出来事を経験していたからだ。


「シドニー五輪の前も、女子サッカー人気がスゴかったじゃないですか。Jリーグの開幕バブルとともに、女子サッカーにも多額のお金が投資されて。でも、あのあと……」

飯尾篤史
飯尾篤史

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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