岩本勉がイチローとの名勝負を振り返る
NPBで最も安打数を供給した男の秘策

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NPBで最もイチローにヒットを打たれた岩本氏だが、イチローを抑えれば目立つ、というモチベーションで挑んでいたという
NPBで最もイチローにヒットを打たれた岩本氏だが、イチローを抑えれば目立つ、というモチベーションで挑んでいたという【写真は共同】

 NPBで7シーズンにわたり、イチローと対戦したのが元日本ハムの岩本勉氏。被安打(本塁打を含む)36、被打率.396で、「僕はイチローの『ヒット(筆頭)株主』」と笑う。しかし、イチローは決して「イヤなバッター」ではなかった。何せ、イチローを抑えれば目立つのだ。「イチロー4タコ」が新聞の大見出しでも、あとには自分の名前が付いてくる。それで、奮い立った。大いに刺激を受けた、良きライバル。引退後のお互いの道が分かれても、その気持ちは変わらない。

類まれな記憶力に驚がく

――岩本さんにとって、イチローさんはどんな存在でしたか?


 活力の一つでしたね。僕が現役を退いて解説業をしている一方で、僕より2つ若い彼が、しかも世界の舞台で一線級の選手としてゴリゴリに戦っている。僕は彼とジャンルこそ変わりましたが、同じ“野球研究者”として……これは、彼のコメントにもありましたよね。野球研究者として、彼の存在には非常にモチベーションを上げてもらえました。


――初対戦は覚えていますか?


 1994年のオープン戦かな。福岡ドームで、確かランナー一塁からライト前ヒットを打たれたと思います。ただ、そのときは自分も1軍に残るのに必死だったので、誰がどうとかマークする余裕もなくて、「カタカナのイチローかい」くらいの感覚でしたね。


――では実際、意識し始めたのは?


 94年は、シーズン終盤(9月14日)に1打席、東京ドームでレフトフライに打ち取っているんですよ。この話には続きがあってですね、そのオフ、僕が同級生の選手に会いに、神戸のオリックス寮を訪問したとき、頼まれ物でイチローにサインをもらいに行ったんです。寮長さんにも許可をもらって、彼の部屋まで行きましてね。そこで初めてイチローと話をして、「俺のことわかる?」と聞いたら、「あ、岩本さんですよね。東京ドームで僕、レフトフライですよね」って全部しっかり覚えていました。これはすごいなと思いましたね。だって、数々のピッチャーと対戦しながら210安打して、首位打者になった年ですよ。その彼が、シーズン終わりかけの、順位もほぼ決まっているような中で出てきた敗戦処理ピッチャー相手の1打席を覚えているなんて。その年、1年だけサイドスローをしていたので、もしかしたら僕がよっぽど変な投げ方をしていたのかもしれませんが(笑)。

前田恵

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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