連載:イチロー取材記 駆け抜けた19年

“イチロー語録”から哲学を読み解く 何を語ってきたのか

丹羽政善

4000本打つには8000回以上の悔しい思い

キーワード:価値観

 ぶれなかったイチローの価値観。なぜ、そう考えるのか。それを言葉の力で説得した。
 2009年、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で連覇を遂げた翌日。イチローは、独特のリーダーシップ論を口にしている。

「向上心。これが集まったチームは強い。よくチームにはリーダーが必要だという安易な発想があるが、今回のチームにはまったく必要なかった。それぞれが向上心を持って、何かをやろうとする気持ちがあれば、そういう形はいらない。むしろない方がいいと思った。僕は外からリーダーのような存在だと言われたけど、実際、中では何にもなかった。向上心があればチームはいくらでも可能性が見いだせる」

 イチローがリーダーとしてチームを引っ張った。そんな見方をそう否定したのだった。
 4割は狙わない――。年間最多安打記録を更新したとき、1941年のテッド・ウィリアムズ(レッドソックス)以来現れていない打率4割を狙うかと問われたが、それを否定した。

「打率の話をするときにいつも僕が言うのは、コントロールできてしまう(ということ)、打率っていうのはね。原点にあるのは野球が好きだということですから、それでグラウンドに立ちたいわけですから、もしそこを目標として(4割の)可能性が出てきたとするなら、打席に立ちたくない気持ちが表れてしまうと思うんですよね。そうなるのは本意ではないので、なかなかそこに目標を置くことはできない」

 とはいえ、その挑戦にどうイチローが立ち向かうのか、見てみたかった。

 ひょっとして20代前半でメジャーに来ていたら……という声には、こう語ったことがあった。

「日本で積み上げてきた安打だけではなく、凡打の中にも僕の技術を磨いてくれたものがある。日本時代に養われた技術――僕はそれを使って、こちらでヒットを打っているわけですよね。だから、例えば、10代――18、19のときに来てたら、とは考えない。そもそも、技術がまだないんだから。だからそのときに来てたら、今の僕はない可能性の方が高いんじゃないですか。そういう発想は考え方も含めて日本時代に養われた。アメリカの人の中には、日本でのヒットなんか、みたいなものが絶対あると思う。でも、申し訳ないけど、アメリカでのヒットのペースの方が速いんですよ、ということは、それを言われたらそう言い返しますけどね。だから、日本の方がレベル高いんじゃないか、みたいなことは言えますよね。ペースが上がってしまっているので。それが武器だよね。(ペースが)落ちていて、試合数だけ多いからっていうのだと、ちょっと弱いけどね。そこはちょっと、誇りにしているところ」

 日本時代に培った技術こそが、イチローを支えていた。ちなみに日本時代の1試合平均安打数は1.34本。メジャーではレギュラーとして出場していた2001年から12年まで1.36本だった。

 2013年8月21日、その日米通算で4000安打を達成。日米通算ということで、メジャーの最多安打記録を持つピート・ローズ(レッズなど)などは、評価に値しないとでも言いたげだったが、イチロー本人は日米通算という考え方を超えたところに価値観を見いだしていた。

「ややこしい数なので、両方のリーグの数字を足しているものですから、なかなか難しいんですけど、ヒットを打ってきた数というよりも、こういう記録、2000とか3000とかあったんですけど、こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたことを誇れる自分では別にないんですよね。誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね。

 プロの世界でやっている、どの世界でも同じだと思うんですけど、記憶に残っているのは、うまくいったことではなくて、うまくいかなかったことなんですよ。その記憶が強く残るから、ストレスがかかるわけですよね。これは、アマチュアで楽しく野球をやっていれば、いいことばっかり残る。でも、楽しいだけだと思うんですよね。これはどの世界も同じこと。皆さんも同じだと思うんですよね。そのストレスを抱えた中で、瞬間的に喜びが訪れる、そしてはかなく消えていく、みたいな。それが、プロの世界の醍醐味でもあると思うんですけど、もっと楽しい記憶が残ったらいいのになあというふうに常に思っていますけど、きっとないんだろうなあと思います」

 結局、イチローの日米通算安打は4367本。悔しい思いをしたのは9186回だった。

 では、そうしてストレスを感じる中で、どう感情を一定に保ったのか。同じく日米通算4000安打を達成した夜、「テクニックはある」と言ったが、イチローはそこでしっかり大地に足を踏ん張っていた。

「毎日同じことを繰り返す、厳密に言うと、すべて同じではないんですけども、そういうことで自分を安定した状態にもっていくというテクニックはあると思います。ただ、それを毎日継続できたとしても精神が常に安定するとは限らないんですよね。その時点の自分でできることを、考えられることをやっておきたいということですね。それでも結果的に不安定な状態になることはもちろんありますし、その割合が多いとは言わないですよ、時々そういうことがあるということですね。特に良くない結果だったり、難しいゲームの後というのは、気持ちを整理することはとても難しい状態にあることがあるので、いつも続けていることをまた続ける、その日も続けることが時々、しんどいなあと思うことがありますけど、そこは頑張りを見せるとこでしょうね。それは自分で続けてきたつもりです」

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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