イチローにとって記録とは? 見えたのはピート・ローズとは異なる景色
積み重ねることで心境に変化
メジャー通算3000安打を放った際は、チームメートと喜びを分かち合った 【Getty Images】
「これまでは分かりやすい200本っていう目標があって、もちろんあるんですけど、そこを口にすることって、もちろん、そうしてきたりもするんですけど、なんか、必要ねえなっていう感じなんですよ。そういうことが。つまらないっていうかね」
連続ではすでにメジャー記録を更新。しかし、すでに触れたように年間200安打が10度目となればローズと並ぶ、という状況だったが、そこを目標に設定することはなかった。
「去年のシーズンを考えればね、できないはずがないんですよ、そんなものは。できないはずがないものをわざわざ言うこともないし、そんなことよりもなんか、数字とは別のところで、見ている人の気持ちが動いてくれたり、ハッとしてくれたり、そういう瞬間が多いといいなあと。それができるんじゃないのかなあって。結果ですよ、これは。目的じゃないですよ。目的となったらこれはできないですから」
年を経て明らかに、これまでとは異なる境地に達したかのようだった。
もっとも、向き合い方が変わっても、産みの苦しみそのものから開放されたわけではない。その都度、重圧にさいなまれる。2009年9月、9年連続200安打を前にして足踏みすると、「恐怖を感じた」と話した。
「普通の環境なら、恐怖なんて出てこないですよ。試合数を考えればね。ただ、見知らぬ人が増えるので、(記録を達成)できない選択肢を取り除かれるわけですよね。そのときに恐怖って思う。今回の場合は、自分の中から来る恐怖じゃなくて、外からの影響で恐怖が生まれるっていう、なんか変な感じだった」
2016年にメジャー通算3000安打を打つ前にも停滞期があったが、このときも、「人に会いたくない時間があった」と吐露した。
「誰にも会いたくない、しゃべりたくない、僕はこれまで自分の感情をなるべく殺してプレーをしてきたつもりなんですけど、なかなかそれもうまくいかず、という苦しい時間でしたね」
そんな一方で、常に苦しみの先にあったのは、達成感だったり、安堵感だったが、3000安打のときには、別の感情が湧き上がったという。
「あんなに達成した瞬間にチームメートが喜んでくれて、ファンの人たちが喜んでくれた。僕にとって3000という数字よりも、僕が何かをすることで僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事であるかをあらためて認識した瞬間でした」
記録の本質は分かち合うこと、ということなのか。ところが、それがイチローのたどり着いた最終地点でもなかった。
10年連続200安打さえ小さく見える
「いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものはたいしたことではないというか。自分にとって……まあ、それを目指してやってきて、それは僕ら後輩が、先輩たちの記録を抜いていくのは、しなくてはいけないことでもあるとは思うんですけども、そのことにそれほど大きな意味はないというか、今日の瞬間なんかを体験すると、随分、小さく見えてしまうんですよね。
例えば、分かりやすい10年200本を続けてきたこととか、MVPを獲ったとか、オールスターでどうたらっていうことは、もうほんと小さなことにすぎないというふうに思います。
今日のあの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況にあって、その後もチームと練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。
今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない、というふうな、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。そのことが、まあ去年の話ですから、近いというのもあるんですけど、どの記録よりも自分の中ではほんの少しだけ、誇りを持てたことかなと思います」
東京での何打席かのために 心血を注いだ何千という膨大な時間に比べれば、10年連続200安打さえ、小さくかすんだ。
かつてイチローは、「小さなことを多く積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」と言ったことがある。最終的にイチローがたどり着いたのは、記録をはるかに超越したところ――。
そしてそれは、もしかしたら決してローズが見ることのできなかった景色ではなかったか。