日本フェンシング界のビジネス革命は、アスリートゆえの戦略思考から生まれる
公益社団法人日本フェンシング協会が、第2回日本スポーツビジネス大賞のライジングスター賞に輝いた 【写真:魚住貴弘】
選手時代に培った戦略思考がビジネスの礎
受賞インタビューに応える日本フェンシング協会の太田雄貴会長 【写真:魚住貴弘】
太田: どうもありがとうございます。大変光栄です。特に、私個人ではなく、協会全体として表彰していただけることをうれしく思います。
――競技団体の会長に就任した経緯を教えてください。また、日々どのように過ごしていらっしゃるのでしょうか。
太田: 行き詰まり感のあったフェンシング業界で、どのように若者のファン層を獲得していくのかという課題に向き合うタイミングで白羽の矢がたったようです。私個人の時間の使い方としては協会業務が全体の6割程度。残りは講演会や、民間企業のアドバイザリーをしています。協会としても、副業兼業を前提として人材採用していますが、それを私自身も体現している状況です。
フェンシング協会の会長としては、公益法人として社会に実装できるように立て直そうと動いていますが、今後のキャリアのための勉強や実験という意味合いもあると思っています。現在年間7億円の規模で事業を運営していますが、たとえばそこで会長が1億円をもらっているなどとなると、相当反発があるはず。私は会長としては1円も報酬をもらっていませんが、その分、どこで現金化するかは意識しています。普通のビジネスモデルだと、サービスの対価として直接的にキャッシュが入りますが、そうではなく、私たちの取り組みを信頼やニュースを、他の場所でマネタイズするというところは個人的には面白さを感じています。時間を現金化するのではなく、成果物や実績で評価してくださる企業などと一緒に働くことで現金化する。週40時間働いて1円ももらえないというのは相当変わっていますが、普通の人ではできない経験ができる場所であることを納得して業務と向き合っています。
――非常に興味深いです。ご自身の発想はどのように培われたのでしょうか。
太田: ビジネス感覚について言えば、知識面はもちろん増えていますが、根幹は変わりません。選手時代から、日本人は背が低く競技をする上で不利であることを踏まえて、自分たちが足りていないことを前提に、世界で勝つために何をすべきかを客観的に考え続けてきました。ただ体を鍛えればいいだけではありません。たとえば、審判にフェアにジャッジしてもらうために、選手側の意見を伝えるための環境を築き上げる必要もある。審判を任命するのはレフェリーコミッション。レフェリーコミッションを任命するのは理事、その理事になるためにはアスリート委員会委員長になる、ということを逆算した上で実現させたのも戦略の1つでした。戦略を描いて実現するのは、ビジネスも全く同じこと。私に限らず、フェンシング選手は戦略を描くのがうまいはずです。
――周囲の経営者から学ぶことは大きいですか。
太田: はい。マーケティングやPRについては分かっていないことも多かったので、その道のプロに聞くと面白いですよね。自分のアイデアがダメなこともありますので、さまざまな経営者の皆さんからアイデアをもらうこともあります。そういう方々にとって、フェンシング協会と関わってよかったと思ってもらうためプレッシャーを感じます。
成功体験の積み重ねでつかんだスタッフ一人一人の自信
日本フェンシング協会が公募した戦略プロデューサー4職種の採用者が決まったことを発表する日本協会の太田雄貴会長(左から2人目)ら。左端は江崎敦士氏、右から2人目は高橋オリバー氏=2018年11月10日、東京都渋谷区 【共同】
太田: 思い起こすと、最初の1カ月は地獄のようで、何から手をつけていいか分からない状況でした。現金がいくらあるのか、引っ越した方がいいのか、人事をどうするのか……、どういう形で立て直すべきか迷いましたが、まず、数の力で運営しない、権力をあえて発揮しないという方針を決めました。好き嫌いや派閥や学閥なども関係なく、適材適所を考えて人事を決め、攻めの経営に転じるために協会運営をどう円滑に進めるかという視点でアクションプランを考えました。
最初に着手したのは、大会の改革です。一番目につく大会を改革することで、「フェンシングは変わった」という印象を持たせることが重要だと考えました。特に意識したのは内部の意識改革です。「メダルを取らなければダメ」というのがこれまでの鉄則でしたから、協会の役割は強化にフォーカスされていました。お客様が少ないことに対する戦略がなく、事業に対するプランがなかった。そこで、勝っても負けても事業が伸びる方向に舵を切りました。実際に大会の観客が10倍に増え、露出が増え、スポンサーが増え、風向きが変わるのを感じました。
――スタッフの入れ替えはなかったのでしょうか。
太田: 予算の制約もあり、基本的にスタッフは大きくは変わっていません。アイデア勝負だけで来場者を10倍まで増やすことができました。もともと、メンバーにポテンシャルがあったのでしょうね。バックオフィスのスタッフはなかなか自分事にしづらいのですが、フェンシングの発展を支えるクルーの大事な一人であるという動機づけを意識しました。日本がこれまで成し得なかった金メダルの獲得と、顧客増加という目的意識のもと、事務っぽくせず縦割りを打ち破りやっていこうという話をし続けました。自然と、一人一人が知恵を出すようになりました。
小さな成功体験をデザインすることは心掛けました。たとえば、営業活動についても、ある程度はこちらでまとめておき、仕上げを任せることで成功体験をしてもらうといった工夫はしました。
大会運営にしてもそうです。2017年の全日本選手権は潮目が変わった瞬間だったと思います。大会の運営内容をいろいろと変えたことによって反発もありました。でも、私もみんなと一緒に夜を徹して地道な作業をしました。文句を言いながらも、それまでお客様が150人程度しかいなかった会場に、約1500人が埋まった景色を見て「やってよかった」という気持ちになったと思います。
――最近では、ビズリーチと組んで、副業・兼業を前提としたプロフェッショナルビジネス人材を募集したことも話題になりました。
太田: たとえば、ビジネスの世界では、ニュージーランドが実験場として適していると言われます。人口500万人の島国でテストし、企業はそこでダメだと思ったら早期に撤退するわけです。同様に、私たちの協会を社会実験の実証の場として選んでもらうのも戦略の1つ。ただし、2番手3番手ではインパクトが弱い。だからこそ、副業・兼業での人材募集も「最初」であることにこだわりました。メディアにおけるニュース性は重視しています。
――人材の見極めは難しかったのではないですか。
太田: HR(ヒューマン・リソース)に関してはどこも大変ですよね(笑)。ただ、副業・兼業のいいところは、フルコミットではないので、優秀な人材が集まりやすいこと。見るポイントを教わってからは、職務経歴書を見ればなんとなくその人となりがある程度分かるようになりました。最終的に良い方たちを採用できたと感じています。
副業・兼業の方、優秀なボランティアも含めて、マネジメントするのは難しいです。マーケティングやPRは早期に結果が出やすいですが、経営戦略立案は特に大変です。それでも、1127人が応募してきてくれたわけですから、自信を持って嘘はつかないことにした。「大変ですよ、いいですか」と。そうして残った人材を信頼して採用しました。