連載:引退、決断のとき

サッカー選手に未練たらたらだけど、巻誠一郎は止まらない、止まれない

後藤勝
アプリ限定

ジェフ時代、そして日本代表。サッカー選手「巻誠一郎」はいかにして形づくられたのか 【撮影:熊谷仁男】

 名将オシムが率いた千葉でひたすら走った日々、ジーコジャパンの“サプライズ”選出、そしてフクアリでの奇跡の残留劇――過去史を紐解きながら巻誠一郎の価値観に迫り、第二の人生を朧気に感じ取ろうとするロングインタビュー後編。熊本の英雄はいかにして形づくられ、そして次のステージへと向かおうとしているのか。飾り気のない言葉にほとばしるナイスガイの想いを拾い集めた。
──水前寺陸上競技場でゴン中山(中山雅史)のハットトリックを目撃した若者が、プロになり代表になりロアッソ熊本の一員として帰郷、地元のおばさんに声をかけられるような存在になった。これを幸せだと感じますか?

 うーん、未練たらたら、悔いありまくりでやめているので、そこまで幸せだとは感じていないです(苦笑)。

 でもね、すごくありがたいなと思うのは、街を歩いていると本当にみんなに声をかけていただけるんですよ。「これから何するの?」とか。「元気?」とか。「名刺交換してください」とか。何百メートル歩くだけでも10人、20人の方に声をかけていただけるんですよ。そこまでみなさん、気にしてくれているんだな、と。はい。ありがたいです。びっくりしますもん自分でも。

 もうエレベーターに乗っていても、絶対にサッカーを観ていないんだろうなというおばあちゃんでも「あら〜」って言ってくれるし、サッカーを観たことがない人でも僕のことを知ってくれていて。そして応援してくれて、今後を気にしてくださる。ある意味、幸せなのかな。ですよね。

──引退後は子どもたちのための仕事をしたいと。

 はい。でもまだ引退を決めてから1カ月なので、模索中です。やりたいことと、やれることと、やらなければいけないことと、できないこととを自分で整理しながら。やらなければいけないことと、やりたいことがリンクできたらスタートします。やりたくないことはあまりないんですけどね、好奇心旺盛なので。

 いま、そういうものを自分のなかで見極めて整理している段階です。

「巻誠一郎」を形成したオシムのサッカー

サッカー日本代表合宿で練習する巻(中央)を見詰めるオシム監督(左)。恩師はクラブでも代表でも厳しくも温かなまなざしを向けていた 【写真は共同】

──ちょっと昔話をさせてください。デビューしたのがジェフ市原(現千葉)。監督がオシムさんでした。いちばん最初に強烈な指導者が来ちゃったなという感じだったのでしょうか?

 そうですね。ただ、本当にオシムさんでよかったなと思うのは、プロとはこういうものだと、叩き込んでもらったこと。ある意味オシムさんがベースで基準なんですよ。日々考えることであったり、ハードなトレーニングだったり、そのトレーニングから全力でやることであったり、そうやって自分のなかに一日一日、成長の足跡を残していくことは、オシムさんのもとで学びました。そのハードルが高かった。しんどかったですけど、学ぶことが多く、自分のプロサッカー選手としてのベースを引き上げてくれた。それが幸運な出会いであったなと。最初にオシムさんでよかったなと思います。

──よく日本のサッカーは部活だと言われますけど、それこそ高体連のサッカーを経験して駒澤大学でもプレーしたうえで出会った、ヨーロッパで名将と呼ばれている人が、こんなに走るサッカーをするなんてと思いませんでしたか?

 走ることは苦にするタイプじゃなかったですけど、それでも日々ハードですし、ついていくので一杯いっぱいでした。要求の水準が高いですし。でもそのことによって、人間はどこに基準を置くのかが大事だと思いましたね。なので、僕はその基準やベースをオシムさんに準じて非常に高く設定していたので(苦笑)、その分やめる時に苦労しているんですけどね。自分の追い求めるものと、うまくいかない部分の葛藤のなかでね。だから悔いがたくさん残っているんでしょう。

──そのジェフで、崔龍洙(チェ・ヨンス)さんから巻さんにFWが変わった時、一瞬どうかなと思った人もいたと思うんです。

 それはたぶん、みなさん不安になったでしょう。

──ところが、巻さんのほうがフィットしていたんじゃないかと思うくらいの活躍でした。

 最初の2年間で、龍洙さんからストライカーとしてたくさんのことを学んだんですよ。心構えであったり。それはマルキーニョスにしてもそうですし。そういうものがあったから、自分なりの巻誠一郎像というものをつくれたんじゃないか、そしてオシムさんのサッカーについていけたんじゃないかと思いますけど。

 もしかしたら、もっと能力の高い選手がオシムさんのもとでやっていれば、もっとすごいチームになっていたかもしれない。でも、オシムさんはそれを求めなかった。オシムさんは僕のことを、最初「なんだあのラグビー選手は」と言っていたらしいので(苦笑)、よく我慢して、育てていただいたなと。本当にに下手くそだったし。自分でもわかるくらい、下手くそだったのでね。
  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 次へ

1/2ページ

著者プロフィール

サッカーを中心に取材執筆を継続するフリーライター。FC東京を対象とするWebマガジン「青赤20倍!トーキョーたっぷり蹴球マガジン」 (http://www.targma.jp/wasshoi/)を随時更新。「サッカー入門ちゃんねる」(https://m.youtube.com/channel/UCU_vvltc9pqyllPDXtITL6w)を開設 。著書に小説『エンダーズ・デッドリードライヴ 東京蹴球旅団2029』(カンゼン刊 http://www.kanzen.jp/book/b181705.html)がある。【Twitter】@TokyoWasshoi

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント