地味な中堅だった飯塚高史が、“狂乱引退”を果たすまで
転機は橋本真也とのタッグ
約32年に及ぶプロレスラー人生に終止符を打った“クレイジー坊主”飯塚高史 【写真:SHUHEI YOKOTA】
「実力はあるが地味な中堅選手」というポジションであった飯塚にとって、一つ目の大きな転機となったのが、2000年1.4東京ドームでの「魔性のスリーパー」誕生だ。飯塚は故・橋本真也さんと組んで、対立するUFOの小川直也&村上和成組と対決。1年前の「遺恨試合」以来、小川に押されっぱなしの橋本さんに対し、飯塚は村上をこのスリーパーホールドで一蹴。一躍、新日本の「救世主」としてブレイクしたが、翌年、首を負傷して長期欠場に追い込まれた。
直後に飯塚は頭をスキンヘッドに刈り上げ、「アイアン・フィンガー・フロム・ヘル」と呼ばれる鉄の凶器を振りかざす怪奇派ヒールに大変身。その後も裏切りと反則攻撃を繰り返し、09年からはCHAOS、14年には鈴木軍入りした。また、10年8月からは実況席に座るテレビ朝日の野上慎平アナウンサーを標的に定め、入場時に襲撃。ワイシャツをビリビリに破かれた野上アナが、裸ネクタイ姿で実況をするのが「お約束」となっていた。なお、なぜ飯塚が野上アナを襲うのか、多くのファンは「名字のせい」と疑ってはいるが、その理由は不明のままだ。
2.2札幌大会のリングで「更生」どころかテロリストに転身 【写真:SHUHEI YOKOTA】