「高校野球はなぜ坊主?」 固定観念と典型的な精神主義がないがしろにしてきた選手の人権
【写真:岡沢克郎/アフロ】
そのキーワードは「人権」だった。人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士・松坂典洋氏に聞いた。日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える知的エンターテインメント。
『高校野球と人権』(著:中村計、松坂典洋)から一部抜粋して公開します。
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はじめに ~人権の手触り~
「高校野球って、なんで坊主なんですか?」不意にそう尋ねられたときのことである。
2018年夏、全国高校野球選手権大会は第100回大会を迎えた。金足農業が全国準優勝を果たし、「カナノウ旋風」を巻き起こした夏でもある。
その100回目の夏、私はあるネット媒体で、野球以外の高校スポーツの名指導者に高校野球を語ってもらうという企画を立てた。極めて特殊な形で発展し、アマチュアスポーツの中では類を見ないポジションを手に入れた高校野球というジャンルが、もっとも近い同業者の目にどのように映っているのか。率直な意見を聞いてみたかった。
そうして訪ね歩いた指導者のうちの一人に東福岡高校のラグビーフットボール部監督、藤田雄一郎がいた。東福岡は今世紀に入り、「花園」の呼称で親しまれる全国高等学校ラグビーフットボール大会を7度も制している。目下、高校ラグビー界における最強軍団と言っていいだろう。
東福岡の指導法は、目から鱗(うろこ)の連続だった。藤田は言った。
「アメフトとラグビーは似ていると思われがちですが、ぜんぜん違う。アメフトは指示命令型のスポーツ。野球もそれに近い気がします。それに対して、ラグビーは自己判断型スポーツなんです。選手が監督の指示とは違う選択をしても、ぜんぜんいいんです。だから、半分くらいは教えるけど、6から10は自分で考えてやりなさいと言います。それができないと高校卒業後、トップレベルのラグビーにはついていけなくなるので。選手のキャパシティを監督で埋めちゃいけないのがラグビーというスポーツなんです」
練習時間も野球の強豪校とは比べものにならないほど短かった。
「ラグビーは野球と違ってタイムスポーツなので、どんなにやりたくても前半後半30分ずつ、計60分で終わりなんです(大学以上は40分ずつの計80分)。なのに、3時間も4時間も練習しても意味がない。だから、まあ、1時間半から2時間くらいでまとめるようにしています。練習の強度は試合の1.5倍くらいあればいいかなと思っています」
野球とラグビーの練習方法の相違について藤田は競技性の違いからくるものだと理解を示した。
ところが、高校野球における「僕の大きな疑問のうちの一つ」だとして首を傾げ、冒頭のような疑問を口にしたのだ。
藤田は「うちは坊主禁止なんです」と言った。
「髪を切ったら、頭を守れないじゃないですか。昔は高校ラグビーでも坊主にしている高校がけっこうありましたけど、今はもうほとんど見かけない。高校野球だと、髪を伸ばしていることが悪みたいな印象がありますもんね。負けたら髪なんか伸ばしているからだって言われそう。大変ですよね……」
慣れとは恐ろしいもので、私はそんなことに疑問を抱いたことは一度もなかった。あまりにも「野球部=丸刈り」という絵が当たり前になり過ぎていたのだ。私にとって藤田の問いかけは「赤はなぜ赤いのですか」と問われているのに等しかった。
付け加えるならば、私は丸刈りが好きだった。中学、高校時代、野球部に所属し、丸刈りにされたときも何の不満もなかった。野球をやるということは、そういうことだと思っていたし、丸刈りは野球部であることの象徴のようで誇らしい気さえしていた。大人になってからも、よく丸刈りにしていた。すぐに乾いて楽だし、自分で刈れるし、見た目にもカッコいいと思っていたのだ。
藤田に疑問をぶつけられてからというもの機会があれば高校野球の指導者に同じ質問をぶつけた。なぜ、丸刈りなのでしょうか、と。だが、合理的な回答を得られたことは一度もなかった。ある監督には「中村さんも坊主じゃないですか」という的外れな言葉を返された。彼らもまた私と同じだった。そのことについて、思考を巡らせたことがなかったのだ。