知られざる富山とバスケの関係 県民編 ブースターが作り出したバスケの下地
「リーダー」を必要としない応援者たち
藤平さん(中央)は12年からスタンドの応援を先導するようになった。写真は16年bjリーグファイナル時のもの 【写真:松村純一】
藤平信之はスタンドの応援を支えるブースターだ。当初は子供のミニバスもあり「地元・高岡市周辺で開催するときに行く」程度の関わりだったが、今は年50試合以上に足を運ぶ筋金入りだ。
彼が応援をリードするようになった時期は12−13シーズン。仕事で関わりのあった県外からの年下の転勤者・中島慎也が、埼玉県出身の浦和レッズサポーターだった。
「スポーツ観戦が好きだという話で意気投合して、最初は招待券を渡して連れて行ったのがきっかけです。彼もハマってくれて、でもそのときはホームしか行っていなかった」
ただアウェーにも乗り込んで熱く声援を送るのがレッズサポーターの流儀だ。
「俺に『運転をするから』と言われて、信州に連れていかれたのがアウェーに行き始めたきっかけです。そこで初めてアウェーの楽しさを知ったんです。本当に応援したい人が交通費をかけて行くので、少数精鋭なんですよ。でもコールのリードをする人がいなくて、固まらない。そこで彼が『ちょっとやっていいですか?』という感じで始めたのがきっかけです。富山の人って大人しいけれど、誰かが始めるとそれに乗るんです」
中島は県外転勤で富山を去ったが、藤平は応援のリードを引き継いでいる。さらに藤平はツアーコンダクター、運転手の役割も担っている。富山ブースターがまとまって秋田、仙台のような遠距離まで連れ立って出かけていく。大型免許を持つ彼が中心になって、バスをチャーターすることもある。藤平にも日々の仕事があり、平日開催が増えた今季は観戦数がやや減っている。それでも年50試合以上は現場に足を運び、チームを支えている。
もっとも彼は「リーダー」という言い方をされることをあまり好まない。いわゆる団体を結成しているわけでもなく、他競技にありがちな応援グループ同士の勢力争いもない。
「一つの団体とかリーダーができてしまうと、その人に右にならえをしないといけない。私がいなかったとしても『ああいうのをやってみよう』と思う人がどんどん出てきてほしいというのが希望です。リードはしているけれど、リーダーではない。リズムと、テンポを合わせる役目をやっている。中島と相談して、ここぞという時のコールとかディフェンス、オフェンスの言い出しのタイミングをずっと二人で話し合いながらやっていました」
どんな競技でも声援は「合わせる」ことで一気に迫力を増す。それには声を出すタイミングが重要だ。藤平は工事現場で使うような蛍光の棒を「指揮棒」として振り、それを目印に声を合わせる工夫をしている。有明コロシアムで開催されたbjリーグのプレーオフファイナルズに出場したとき、広い会場でどう声を合わせるかを考えたのがきっかけだった。
歴史と紐づく「富山らしさ」
富山県民は歴史として一揆発祥などがあった土地柄、ここぞという時の団結力はすごいという 【(C)B.LEAGUE】
「強いチームって追う立場になると途端に応援が弱くなる。でも富山は逆で、劣勢になればなるほど声が出ます」
琉球ゴールデンキングス、秋田ノーザンハピネッツとBリーグの「熱い」会場はいくつか思い浮かぶが、富山もその一つだろう。富山市総合体育館で開催された日本代表のワールドカップアジア地区2次予選は、11月30日のカタール戦、12月3日のカザフスタン戦とも試合の途中までどう転ぶか分からない苦しい展開だった。筆者が現場にいて感心したのはスタンドの熱気と、ミスが起こっても雰囲気が悪くならないことだった。
「富山は劣勢になればなるほど声が出る」とブースターの中村さん 【大島和人】
「一揆発祥と米騒動の土地なので(笑)。そういう県民性があるのか、ここぞという時の団結力はすごい」
富山(越中)は15世紀から16世紀にかけて一向一揆で鳴らした土地。また魚津市は1918年の米騒動の発端となった地域だ。普段は人見知りで大人しくても、ピンチになると団結して行動する。そんな「富山らしさ」が、グラウジーズの苦しい時代を支えるエネルギーになった。
ブースターが作り出したバスケの下地があるからこそ、1月19日のBリーグオールスターゲーム2019は富山市総合体育館で開催されることになった。富山からも大塚裕土、宇都直輝、水戸健史の3選手が出場するのだが、ボランティアスタッフも口をそろえて自らの「出場」を訴えていた。
中田はこう口にする。
「協力の要請が来るか分からないけれど、オールスターでもボランティアをやりたい。この会場は僕らの方が知っているので、是非やらせてくれよと思っています」