2012年 初めてのJ1昇格プレーオフ 後編 シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

引き分けでも上位チームが昇格するレギュレーション

大分の1バック5トップが発動し、林の決勝点が生まれた 【宇都宮徹壱】

 2012年11月23日、東京・国立競技場で初めて開催されたJ1昇格プレーオフ決勝。試合後のスタッツには、入場者数は「27,433人」、天候は「曇のち雨、弱風、気温11.4 ℃、湿度 70%」、ピッチは「全面良芝、水含み」と記載されてある。そして、もうひとつ注目すべきは、西村雄一が主審を務めていたことだ。J1昇格の最後の1枠を決める試合に、国際審判員が笛を吹く。そこには「初めてのプレーオフを絶対に成功させたい」という、主催者側の意気込みが感じられる。以下、西村の証言。

「レフェリーは、常に攻撃する側と一緒に走っているわけですから、それぞれの攻撃の特徴を意識する必要があります。(ジェフユナイテッド)千葉であれば、ワイドから仕掛ける攻撃。大分(トリニータ)であれば、前線の森島(康仁)選手が攻撃の起点となります。それと昇格プレーオフの場合、0−0でも勝敗がつくレギュレーションですから、通常の試合と比べて攻撃の意識がより強くなるんですよね。ですから、両チームの攻撃をきちんと確保できれば、選手はストレスを感じることなくプレーできると考えました」

 前半は、ほぼ一方的に千葉のペースで進む。両ワイドのマッチアップは千葉が制圧。前半13分には米倉恒貴がヘディングで、そして37分には兵働昭弘が直接FKでゴールを狙うも、いずれも大分GK丹野研太のファインセーブに阻まれる。後半も千葉が主導権を握り、大分がカウンターを狙うという展開が続いた。後半26分には千葉の藤田祥史、35分には大分の森島が惜しいシュートを放つも、いずれもネットを揺らすには至らず。0−0の状況が続く中、両チームの指揮官はまったく違ったことを考えていた。

「準決勝で4ゴールを挙げたデカモリシ(森島)は、何とかしないといけないとは思っていました。それでも僕らの発想の中では、相手を押さえにいくという発想は、あまり持っていなかったですね。自分たちがゲームを90分間しっかり支配して、先に1点を決めることに重きを置いていました」(千葉・木山隆之監督)

「隣のベンチで、木山が焦っている様子が見えたんです。このまま0−0の状態が続いたら、プレッシャーを感じるのはむしろ向こうで、われわれのほうが心理的に優位に立つだろうと。そこでタケ(林丈統)とダイキ(高松大樹)を入れて、ここぞというタイミングで1バックの5トップにする。3バックの両脇をボランチの位置に、両ワイドも前線に上げて、そこから全員でガツンと点に取りに行く。その練習は準決勝の前からやっていました」(大分・田坂和昭監督)

明暗を分けた、それぞれのベンチワーク

西村主審は引き分けでも上位チームが昇格するレギュレーションを考慮し、「両チームの攻撃をきちんと支える」ことを考えていたと振り替える 【宇都宮徹壱】

 大分の田坂監督は後半28分にFWの木島悠を、そして39分にDFの土岐田洸平を下げて、FWの林と高松を投入。1バック、5トップへの布石を着実に打っていく。これに対して千葉の木山監督が切った最初のカードは、後半41分に米倉に代えて荒田智之。こちらはFW同士の交代である。この交代を認めた主審の西村は、木山の意図を測りかねていたと証言している。

「われわれ審判員は、それぞれの選手交代の意図というものを常に意識しています。監督が考える戦術に、こちらも合わせていかないといけないので。大分が林選手を入れたのは、どこかのタイミングで裏を狙いに行くという明確な意図が感じられました。けれども千葉の場合、米倉選手が効いていたのに荒田選手を入れた意図が、あの時は分かりませんでした。守り切る様子でもなかったので、単純に疲れたから交代したのかなと」

 この交代の直後、一瞬のエアポケットが生じる。そして自陣からのなんでもないクリアボールが、大分の1バック5トップが発動するトリガーとなった。森島が縦に蹴り込むと、フリーで走り込んだ林がドリブルで一気に加速する。大分の一連の動きに対して、千葉は完全に対応が遅れてしまった。その理由について、木山はこう振り返る。

「当時のチームのウィーク(ポイント)のひとつとして、主導権を握る時間が長い試合ほど守備に切り替わる瞬間、ディフェンスラインの選手たちが止まってしまうことがよくあったんです。こちらが押し込んでいる時は、比較的ラインを高く保っているので、相手に奪われて背後に走られる瞬間に止まってしまう。そういうのを無くしていこうと、ずっと言ってきたんですが、あの時はまさにそういう状況でしたね」

 林の疾走が始まった瞬間、西村は副審のフラッグが上がっていないことを瞬時に確認すると、全速力で背番号29を追いかけた。得点の機会阻止の可能性も考え、レッドカードを出す心の準備もしていた。しかし、その懸念には及ばず。林のループシュートは、千葉のGK岡本昌弘の頭上を超えて、そのままゴールイン。この決勝点について、田坂は「西村さんのおかげでしたね」と実感を込めて語る。

「僕はウォーミングアップの時、自分の選手たちだけでなく、レフェリーの動きも見ているんですよ。試合前の西村さんは、両チームの特徴をきちんと理解したウォーミングアップをしていたので『これなら大丈夫』と思いました。それともうひとつ。当時のJ2では、あまりレベルが高くない審判団が担当することもあったんです。いつものJ2の試合だったら、タケの決勝点はオフサイドを取られていたかもしれない。幸いあの試合は、西村さんをはじめレベルの高い審判団だったので、本当にありがたかったです」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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