2012年 初めてのJ1昇格プレーオフ 後編 シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」
「歴史に残る名勝負」を語り合えない当事者たち
「自分の試合を映像で見ていて、涙が出たのはあの時が最初で最後」と語る田坂監督 【宇都宮徹壱】
「初めての試みでしたから、ファンの皆さんの記憶に残るのは間違いない。だからこそ、審判団によるミスだけは避けたいという思いは、試合前にはありました。もちろん、パーフェクトなジャッジというのは難しい。ですので『特別なゲームだと思わず、これまで通りでやればいいから』と試合前に審判団で確認しましたし、試合が終わったあとも『とりあえず大丈夫そうだね』という感じでした(笑)」
一方、初めてのJ1昇格プレーオフを戦った両監督は、この「決戦」をどう捉えているのであろうか。実のところ6年が経った今でも、勝敗を問わず彼らが複雑な心境を抱えていることが、今回の取材から明らかになった。
「大分に戻ってから、試合の映像を見返しました。ちょうど家族は嫁の実家に行っていて、自分ひとりだったんです。そうしたら、自然と涙が出てきて……。『うわ、よく頑張っているな』とか、『よく耐えたよな、これ』とか。本当にいろいろな記憶が蘇ってきて、涙が止まらなくなったんです。プレーオフって、観ているほうはいろんな駆け引きが楽しめると思うんですけど、やっている方はたまったもんじゃないですよ(苦笑)。自分の試合を映像で見ていて、涙が出たのはあの時が最初で最後です」(田坂)
木山監督は「このプレーオフの試合を見ることができたのは、半年以上あとのこと」と明かした 【宇都宮徹壱】
初めてのプレーオフから6年。昇格を果たした大分は、結局1年でJ2に降格し、さらにはJ3にまでカテゴリーを落とした。しかし、その後は着実なチーム強化が図られ、今季は自動昇格で6年ぶりのJ1昇格を決めている。一方の千葉は、その後も3回プレーオフに進出するも、いまだに悲願の昇格は果たせず。J2暮らしは今年で10シーズンとなる。その間、それぞれの指揮官は紆余曲折を経ながら、今もJクラブの監督として活躍中だ。
実は田坂と木山は同学年で、ユース時代から互いをよく知る間柄である。カテゴリーは違えども、ふたりとも東北のJクラブの監督ということで、昨シーズンは練習試合で何度か顔を合わせている。だが、この試合について語り合ったことは、これまで一度もなかったそうだ。その後の大会の方向性を決定づけた、初めてのJ1昇格プレーオフ。もしも大会が10年続いたのならば、歴史に残るこの名勝負について、ぜひ田坂と木山に語り合ってほしい。この試合を現場で取材したひとりとして、心からそう願う次第だ。
<この稿、了。文中敬称略>