稲葉篤紀様 侍ジャパン監督を務める君へ 『野村克也からの手紙』

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「名将・野村」が愛弟子に贈る「監督」の心得とは 【写真は共同】

 日本シリーズが終わると、野球ファンの視線を集めるのは日本代表の戦いだ。2018年11月、日米野球。『侍ジャパン』の精鋭たちを束ねるのは、稲葉篤紀氏。北海道日本ハム時代の12年には2000安打を達成し、14年に引退。17年に代表監督に就任した。44歳で重責を担ったプレッシャーは相当だろう。そんな指揮官を案じ、恩師である野村克也氏が手紙を書いた。

 野村氏がヤクルト監督5年目のシーズンを終えた1994年11月、ドラフト3位で入団したのが稲葉氏だった。以後、監督と選手として4シーズンをともに戦った野村氏は、「“クソ”がつくくらい真面目で努力家」と、稲葉氏を評する。「名将・野村」が愛弟子に贈る「監督」の心得とは。

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監督が選手を引っ張る術は、言葉しかない

 君との出会いは、まさに縁だった。

 あれは94年だったな。私は当時明大3年生の克則に、「たまにはリーグ戦を観に来てよ」としきりに言われていた。「じゃあ今日行くわ」と言って神宮に出かけ、明治対法政の試合を2試合、観戦した。その2試合とも、法政の『四番・稲葉』がホームランを打った。しかも、なかなかいいセンスをしている。私はてっきり、シーズン10本くらい打っているものだと思っていた。あとで聞いたら、シーズン3本中の2本を、私の目の前で打ったということだった。それはそれで、深い縁を感じた。

 この年のドラフト、現場の希望は即戦力の左バッターだった。「ポジションはどこでもいいから、探してくれ」と編成部に頼んでいたのだが、最初の答えは「いません」だった。

「法政におるやんか」

『稲葉』の名は、その年の指名リストにまったく挙がっていなかった。

「法政の稲葉はダメか?」

 すると、スカウトは言った。
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