平成最後の女王にカンタービレ 「競馬巴投げ!第180回」1万円馬券勝負
それでも「オレの馬券だ」と言い張れるか
[写真4]クロコスミア 【写真:乗峯栄一】
我々の馬券も構造は同じだ。このポケットの中の当たり馬券はオレのだよな。所有権は確定しているようだが、もしポケットから出て隣の席に落ちた馬券はどうだ。もし隣の席からも転げ落ちたらどうだ。転げ落ちて百メートル吹き飛ばされたら? それでも走っていって、それは「オレの馬券だ」と言い張れるか。証拠はあるか。もし成層圏まで吹き上げられたら、それでも「オレの馬券だ」と言い張れるか。
ポケットの中にあっても血染めの札束で平家の怨霊が乗り移っていると言われたら「あ、これオレのカネじゃない」と言う可能性だってある。
所有権というのは、民法の定めだけでなく、現代でも何らかの、ほんの小さなことでも宗教的儀式が必要なのではないか。たとえば馬券を手にしたら、競馬場の端にある神社に行って清めの水を掛けてもらうとか、小指に小さく針で穴を開けて血染めにしておくとか、最低でも捺印するとか、何か必要なような気がする。
そんな、庶民のまことに卑近な例もふまえて、来年の大嘗祭の報道を見てみたいし、できるだけオープンな報道をして欲しいと思う。
昨年覇者モズカッチャンと関西馬5頭の写真を
[写真1]はアドマイヤリード。休み明けを一度走って、京都コースを得意としているし、上積みがありそう。
[写真2]はヴァフラーム。準オープンながら前走の追い込みは見事だったが、斤量が一気に4キロ増えるし、どうだろうか。
[写真3]はカンタービレ。秋華賞も最後いい末脚をみせた。かなり奥が深いとみる。
[写真4]はクロコスミアで9月下旬の撮影。ドバイから帰って、休養を取り、夏から始動して2戦をこなした。走りごろか。
[写真5]ハッピーユニバンス 【写真:乗峯栄一】
[写真6]モズカッチャンと鮫島調教師 【写真:乗峯栄一】
[写真7]リスグラシュー 【写真:乗峯栄一】