平成最後の女王にカンタービレ 「競馬巴投げ!第180回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

大嘗祭におおいに興味がある

[写真1]アドマイヤリード 【写真:乗峯栄一】

 来年は天皇の譲位がある。だいたい40歳以上の人は、昭和天皇から今上天皇への皇位継承を覚えていると思うが、昭和天皇崩御という大きな出来事があったため、即位の儀式の詳細にはなかなか目がいかなかったと思う。

 今回は、とにかく新天皇の即位が中心になるから、どういう順序になるのかはおおいに興味がある。まあ、詳細が報道されることはないんだろうが、少なくとも今上天皇への継承のときよりは詳細が分かるのではないだろうか。

 一番の注目は即位式ではない。即位式というのは、いわば大統領就任式のようなもので、国の内外への表明を行うイベントである。

 大事なのは、即位後最初に行われる新嘗祭(にいなめさい)で、これを特に大嘗祭(だいじょうさい)と呼び、これは来年11月(現在の勤労感謝の日)に行われるはずである。この大嘗祭、特にその中心儀式と言われている“真床追(覆)衾(まとこおうぶすま)”という行動によって、新天皇は初めて祖霊神と一体となり、“三種の神器”の所有者となると言われている。しかし大嘗祭で何が行われるのか、特に真床追(覆)衾とは何なのかは「秘中の秘」として、その実体は明らかにされていない。

 いくら戦後「天皇人間宣言」が行われたとしても、新天皇は祖霊神と一体となって、初めて天皇となるとされているのである。

ぼくらはいつも所有権で悩んでいる

[写真2]ヴァフラーム 【写真:乗峯栄一】

 競馬コラムでなぜこんなことを書くかというと、ぼくらはいつも所有権で悩んでいるからである。

  所有権とは、法律的には「所有者が法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利」(民法第206条)とある。

 持っているだけでは所有じゃない。自由に使用・処分できることを所有という。「処分できない」「処分せざるをえない」というのは所有じゃないということだ。

 で、所有として、最も大きな物は“三種の神器”の所有である。

「フェラーリ持ってる」とか「ゴッホの“ひまわり”持ってる」とか「天目茶碗持ってる、時価イッーセーンまーん」とか言って含み笑いするのとは訳が違う。

 でもその所有の最高峰が実はベールの中だ。「ベールの中にあることによって三種の神器は維持される」とまことしやかに言う人までいるぐらいだ。

 三種の神器とは
 ・やたの鏡
 ・くさなぎの剣(つるぎ)
 ・やさかにの曲玉(まがたま)

 のことを言い、万世一系の皇位を保証する宝物と言われている。

 いわば所有物中の所有物だ。これを持っていれば「わたしは天皇だ」と言っていいものなのだから“所有の象徴”と言っていいものだろうと想像していた。

 でも調べてみるに、そう簡単なものではないことが分かる。少なくとも「これは先祖代々わが家に伝わっている宝、狩野永徳の掛け軸です。この掛け軸を持っている者が我が家の当主です」などと言って「なんでも鑑定団」に出品するというような、そういう意味での所有物とは全然訳が違う。

 第一に三種の神器、本当にあるかどうかも判然としない。

 例えば壇ノ浦の合戦のあとには関門海峡の潮に、おびただしい武具や女官衣装、入水した安徳天皇の曲玉(まがたま)の箱まで浮かんでいて、それを周防灘の海賊たちが先を争って拾い集めたと言われている。しかし海賊たちはその戦利品を自分たちのアジトに持ち帰ってウハウハ喜んだかというと、そうではない。滅亡した平家の怨霊が怖かったからだ。刀も着物も曲玉もすぐに売っ払い、おかげで三種の神器も無事朝廷に戻ったと言われている。

 周防灘の海賊は戦利品を所有しなかった。

「やたの鏡」は伊勢神宮の神体、「くさなぎの剣」は熱田神宮の神体とも言われ、実物はそれぞれの神殿の奥深く安置されていて、宮中賢所(かしこどころ)にある神器はそのレプリカとも言われている。とにかくすべて「言われている」「言われている」だ。「言われている」といっても誰が言っているのか分からない。すべて五里霧中、暗中模索の話である。

[写真3]カンタービレ 【写真:乗峯栄一】

 天皇すら“実見”は許されないという話にも驚いた。例えば皇位継承の大嘗祭では、この天皇位象徴物の継承がうやうやしく行われるのだろうと想像していたが、新帝も見てはいけないものらしい。平安時代、好奇心旺盛な第六十三代冷泉(れいぜい)天皇だけが唯一トライしたらしいが、宮中に本物があると言われる「やさかにの曲玉」の箱を開けようとしたところ、白い雲のようなものが立ち上がったので恐ろしくなってやめたという。これが“実見トライ”の唯一の記録らしい。

 天皇でさえ実見できないのだから、伊勢神宮や熱田神宮の神官ももちろん見ることはできない。江戸時代、熱田神宮の神官四、五人が秘かに御神体(「くさなぎの剣」)を見たところ次々に死を迎えたという噂もある。

 つまりぼくなりに解釈すれば、
 ・やたの鏡(伊勢神宮神体のレプリカ)→海中投下寸前で保持された
 ・くさなぎの剣(熱田神宮神体のレプリカ)→周防灘の海底
 ・やさかにの曲玉(宮中賢所の本物)→周防灘の海底
 となる。

 ここ、いったいどうなっているのか。平家物語が非事実を言っているのか。それとも現在あるのは新制作の三種の神器なのか。それとも三種の神器というのはそもそも概念であって、個物は初めから存在していないのか。それすらも判然としないのである。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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