手倉森氏が考える「日本らしいサッカー」 間近で感じた3人の代表監督の信念とは?

戸塚啓
 ワールドカップ(W杯)ブラジル大会からロシア大会までの4年間を、誰よりも知る男である。ブラジル大会後に日本代表を指揮したハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗のもとで、コーチを務めた手倉森誠だ。

三者三様の個性を手倉森氏が語る

現在日本代表の指揮を執る森保一監督については「勝負師たるしたたかさがある」と分析する 【(C)futabasha】

 2014年1月からリオデジャネイロ五輪を目指す世代を強化しつつ、ブラジルで失意にまみれた日本代表の復権に大粒の汗を流した。日本代表コーチと五輪代表監督の兼任は過去にも例はあるが、五輪後に日本代表のスタッフに戻ったのは手倉森が初めてだった。

「アギーレさん、ハリルホジッチさんと、W杯を知る監督と一緒に仕事ができたのは、とても貴重な経験になりました。ハリルさんはブラジル大会で、アルジェリアをベスト16へ導いた人。その成功に対して、すごく自信を持っていましたね。彼が言っていた『タテへの速さ』と『デュエル(球際の競り合い)』は日本サッカーに足りないもので、世界のスタンダードでもある。それはもう間違いないけれど、その落とし込み方とかアプローチのところで、ちょっとバリエーションが少なかったかなという印象はありました」

 ハリルホジッチ元監督には、スタッフや選手との衝突さえ恐れなかった印象がある。監督と選手の橋渡し役だった手倉森の苦労は、計り知れないものがあったはずだ。

「まあ、多少はやり合うこともありましたけどね(苦笑)。それは個人的な感情などではなく、自分は日本人指導者の代表として日本代表のスタッフに選ばれている、だから言うべきことは言わなければいけない、という気持ちでした。ハリルさんは常に同じ雰囲気、同じハイテンションで、というやり方。選手たちを叱咤して、高いところを目指していたのはよく分かるんですよ。ただ、選手たちが疲れちゃったところはありましたね。時には静かに諭すという場面があれば、また違ったのかもしれないけれど……」

 後任の西野前監督はどうだったのか。手倉森の表情が和らいだ。

「剛のハリルさんに対して、西野さんは柔。選手を自然と導いていくようなマネジメントでした。今振り返ってみると、コロンビア戦までのテストマッチについては『勝ちたい』と言っていたけれど、『勝てなかったらまずい』とは考えていなかったと思う。それぐらい気持ちが太い人だった。日本サッカーの特徴を理解して、日本人の良さを出すことを大前提に考えて、選手たちの自主性を尊重していました」

 西野監督の後任には、森保一監督が指名された。手倉森がヘッドコーチ格で、一つ年下の森保がアシスタントコーチのような立場で、西野前監督を支えていた間柄である。

「謙虚でいい人という印象を持っている人が多いと思いますが、勝負師たるしたたかさはある。そうじゃなければ、監督はできませんから。だから(サンフレッチェ)広島で3度もリーグ優勝したんですよ。僕が率いたベガルタ(仙台)も、2012年に広島に優勝を持っていかれて2位だった(苦笑)」

 日本代表の指揮官が受けるプレッシャーの大きさと重さを、手倉森は想像できる。国を背負って戦う重圧は、彼自身もリオ五輪で経験済みだ。その上で、森保監督に求めたいことがある。

「彼の発言はとてもきれいで真面目。それが悪いというつもりは全くないですが、これから国際舞台で戦っていく時には、対戦相手を言葉で揺さぶるようなことをしてもいいと思う。相手は外国人ですから。日本人らしい謙虚さを持ちつつ『お、森保監督は試合前から勝負しているな』と思わせるようなことがあっていいと思うんですね。日本代表からの発信というのは、ものすごい影響力がある。日本国民にメッセージを出して、日本サッカーの可能性をアピールしていくのも、代表監督の仕事の1つだと僕は考えています」

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著者プロフィール

1968年、神奈川県出身。法政大学第二高等学校、法政大学を経て、1991年より『週刊サッカーダイジェスト』編集者に。98年にフリーランスとなる。ワールドカッ1998年より5大会連続で取材中。『Number』(文芸春秋)、『Jリーグサッカーキング』(フロムワン)などとともに、大宮アルディージャのオフィシャルライター、J SPORTS『ドイツブンデスリーガ』などの解説としても活躍。近著に『低予算でもなぜ強い〜湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)や『金子達仁&戸塚啓 欧州サッカー解説書2015』(ぴあ)がある

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