日本代表監督・森保一という男<後編> 教え子たちの証言「理論的かつ客観的」

原田大輔

地道に上り詰めてきた人だからこそ

後編では広島時代の教え子たちの言葉から、森保監督の信念をひも解く 【Getty Images】

 9月7日に行われるチリ戦、11日に行われるコスタリカ戦を戦う日本代表に、青山敏弘や佐々木翔が選ばれたように、森保一監督がいかなる人物で、いかなる指導者で、そして何を大事にしてきたかを知るには、唯一指揮を執ったクラブであるサンフレッチェ広島で指導を受けた人たちに聞くのがいい。

 森保監督が広島の指揮官に就任した2012年には選手として在籍していて、翌年、森保監督のもとで現役を引退した中島浩司は、こう語る。

「森保さんと言えば、真面目、誠実、謙虚。自分自身が選手として地道に上り詰めてきた人だっただけに、苦労している選手の話にも耳を傾けてくれました。それも決して『上から目線』ではなく、同じ目線まで下りてきてくれる。言い方は少し悪いかもしれませんが、才能があって、何でもかんでも簡単にできてしまった選手とは、監督になってからも違うというか。コツコツ努力して、這い上がってきた人だからこそ、指導するときも注意深くいろいろなところを見ているんです。

 それは森保さん自身が、ボランチとしてチームをまとめる立場でプレーしていたこともあるのかもしれません。だから感覚的というよりも理論的。誰が何をしているかを、いつも客観的に見ていた気がします」

 中島自身もまた、ベガルタ仙台の前身となるブランメル仙台からJ2、そしてJ1へと這い上がってきた選手でもあった。さらに、同じボランチとしてプレーしていたという共通点もあったから、森保監督の人間性をことさら感じ取れた部分もあったのだろう。

「森保さんは、選手たちが忘れてしまいがちな基本的なことを忠実に訴えていました。それを徹底して繰り返す指導者でした。よく言っていたのは『泥くさく行くよ』『一歩が結果を変えるよ』というような、選手の気持ちに訴える言葉。とにかく選手たちの気持ちを盛り上げるような言葉を掛けてくれる監督でしたね」

決してぶれない、勝っても負けても一喜一憂しない

浩司(左)と和幸(右)の森崎兄弟は、まさに森保監督の愛弟子だ 【写真は共同】

 森保監督が広島で現役時代に身につけていた背番号7を受け継ぎ、中島と同じく森保監督のもとで16年に現役を引退した森崎浩司(現・サンフレッチェ広島アンバサダー)も言う。

「森保さんがよく言っていたことで覚えているのは『継続力』ですね。プロは必ずしも努力してきたことが報われる世界ではないかもしれない。でも、だからといって日々の積み重ねがなければ、成功もなければ成長もない。だから森保さんは、まず『当たり前のことを当たり前にやる』ことの重要性を僕らに訴えていました。

 これも継続力に通じるところですけれど、同じことを少し言葉を変えたり、ニュアンスを変えて言い続けていました。『球際で負けないこと』『泥くさく戦うこと』。そこはとにかくたたき込まれましたね。その上で、勝っても負けても一喜一憂しない。その精神がチームに根付いていたから、僕らは森保さんのもとで3度のリーグ優勝をすることができたんです」

 森保監督が広島の監督に就任した12年途中に水戸ホーリーホックから加入し、17年まで活躍した現アル・アイン(UAE)の塩谷司も同調する。

「森保さんと言えば、やっぱり、ぶれないところじゃないですかね。他に思いつかないくらい、そのぶれない姿勢が印象に残っています。自分がこうすると決めたことや、こうだと思ったことは、とことんやり続けるし、追求する。そのうえで、さらに進化しようとする。DFとして言われていたのは、『1対1で負けないこと』だったり、球際のところでしたね」

 球際の強さであり、1対1で負けないことの大切さは、世界と戦う日本代表においても変わらない。一見、選手の気持ちに訴えかける言葉や行動ばかりが一人歩きしているように思われるかもしれないが、広島時代も戦術的な指示がなかったわけでは決してない。当たり前だが、それで3度も優勝できるほどJ1は甘くはない。森崎浩司が言う。

「ミーティングでは、たとえばマグネットを使って、ポジションの立ち位置であったり、ボールの動かし方、さらには個々の対応と、細かい指示がありました。でも、そういうものは試合ごとに変わるので、それほど強く僕らの印象に残っていないだけ。それ以上に、繰り返し言われた言葉や気持ちに訴える言葉が(頭に)擦り込まれているという証拠でもあると思います」

 塩谷も、森崎浩司に続く。

「日本代表でどうするかは分からないですけれど、サンフレッチェのときは、基本的に相手に合わせてスタイルを変えるサッカーではなかった。相手がどう攻撃してくるかはもちろん把握した上で、自分たちのスタイルをどう貫くかが前提としてありました。それ以上に、試合中にはさまざまな状況が起こるわけで、それにピッチ上で対応できるように、選手たちに考えさせることが多かったように思います」

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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